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2012年05月23日(水)更新

「心の中の鬼」に打ち克つ、ということ

千年続く 会社をめざそう㉟
■「心の中の鬼」に打ち克つ、ということ■

 
 

天は時に人を試すようなことをなさいます。
人はそれを「苦難」とか「窮地」などと呼びます。
 
そして人は窮地に陥ったとき、それまで隠れていた醜い、
卑しい、惨い、はしたない……認めたくない自分の本性を知ることがあります。
 
私などはそのたびに、そんな自分がいるのかと恐ろしく、
情けなく、自虐の念にさいなまれることになります。
 
先日、そのような思いを、尊敬する、今年82歳になられる
ある企業の会長さんにお話ししたところ、

「私なんて、今でも自虐の念の繰り返し。孫のようなあなたが
そうであるのは当たり前です」

と大笑いされ、少し安堵させてもらいました。
 
しかしそのすぐ後で、
「心の中に巣くうその鬼を、表に出してはいけませんよ」と
私をたしなめられ、次のように続けられました。
 
「人間は、他の生き物のように自分の外には天敵はいません。
人間の天敵は、自分の心に巣食うのです。その天敵を外に出し
たら身の破滅。人からはこちらの心は見えません。人が見てい
るのは己の行動。その窮地に陥った時の行動が、結局はその人
の評価を決めます。鬼の心そのままに行動を取ったら、一度に
信頼を失い、身を滅ぼすのです。それまでどんなに厚い信頼を
受けていた人でも、一瞬にしてすべてを失う。私はそういう人
たちをごまんと見てきました」
 
そして、次のようにまとめられました。
 
「心の中の鬼はどうしようもない。ただその鬼を自覚した時、
それに打ち克つ行動を取る。その対応が己の器と他からの信頼
を創るのです」
 
その後、「いやいや偉そうなことを……」と頭をかきながら、
「私はまだ一度も“完勝”したことがない。できておれば、
もっと大きな会社にできとったのになぁ」と、
はにかみながらおっしゃるその好々爺の笑みを拝顔しながら、
皺の数ほどの克己の姿を想像させていただきました。
 
また一つ、大きな気づきを得させていただくことができました。



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2012年05月08日(火)更新

計画は前半の半年で8割やり切る、ということ

千年続く 会社をめざそう㉞
■計画は前半の半年で8割やり切る、ということ■

 
 
「追い込まれないとなかなか動けない」私は、
この時代、成果を上げておられる方々を観察した結果、
確信をもち、常に意識していることがあります。それは、
 
「計画は、前半の半年で8割やり切るつもりで立てる」
 
ということ。
 
そしてその意味を、下記のように理由づけしています。
 
第一に、「この世にはままならぬ日がある」ということ。
これは近年、多くの人が実感していることではないでしょうか。

明日があると思うから先延ばしをする。
しかし余儀なく空白の日々を過ごさねばならないときがあると諦観すれば、
よもや先延ばしなどできようはずがありません。

以前、ある方から「不景気とは不勉強なり」という言葉を教えていただきました。
少なくとも私たち経営者は、自社の問題を経営環境のせいにはできません。
よってあらゆる状況を予測して、対処しなければなりません。
 
第二に、来期計画をじっくり検討する時間をきちんと設けるということ。
現在のような混沌とした時代にあっては、
トップの情報なり、予見で十分とはとうてい言えません。

現場で社員さんが感じて吸い上げてくる些細な変化や顧客の要望を集約し、
社内の知恵を結集して皆でベクトルを合わせていくことが求められます。
そこにはどうしても時間を要する。
走りながら考えることも重要ですが、
来期の展望を考えるにあたっては、
じっくり時間を取る余裕も必要、ということです。
 
第三に、メリハリをつけるということ。
人の緊張はそう長く続くものではありません。
また業種にもよるのでしょうが、成果には季節による違いもあるでしょう。
そう考えれば、花も実もなる時期に一気呵成に成果を上げる、
そういう姿勢が必要なのだと思います。

逆に閑散期は無理をせず、積極的に休みを取る。
またその時をリラックスすることのみならず、日常とは異なる体験を行うことで、
見えざる未来への糸口を探す機会にできたら最高でしょう。
 
このように考えますと、ままならぬ日が3ヶ月、
じっくり計画を立てるのが1か月、
ゆっくり体を休め、未知なる世界を感じる時間が1か月、
都合5か月は開けておきたい。
これが私の「半年で8割」の根拠です。
そしてできればこの半年は前半に集中させたい、そう考えています。
 
もしままならぬ日がなかったならラッキーです。
さらなる成果を求めてもよいし、
じっくり考える時間や情報収集の時間を増やしてもよい。
いずれにしろ「半年8割」の法則は、安定的に成果を挙げる人の共通項だと思います。
 



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2012年04月25日(水)更新

人を巻き込む、ということ

千年続く 会社をつくろう㉝
■人を巻き込む、ということ■

 
 
人を巻き込むというのは本当に難しいことです。
本人は決して面従腹背しているわけではなくとも、
なかなかこちらの思う通りとはいきません。
 
人を動かすには、いくつかの条件があるようです。
私は最低三つ必要であると思っています。
 
一つは、こちらの言っていることが「正しい」ことだと
わかってもらうこと。
間違っていると感じたら耳も貸してもらえません。
 
二つ目に、当人が「できる」ことであること。
人は自信のあることであればチャレンジングに行動しますが、
そうでなければできるだけ避けようとするもの。
少なくとも「私ならできそうだ」と思ってもらわなければいけません。
 
最後に、「やりたい!」と思ってもらうこと。
「感動」とは「感じて動く」と書きますが、まさにこの状態です。

結局のところ、人間は好き嫌いで判断する生き物。
好きなことであれば、どんなにできない条件が揃っていてもやろうとしますし、
いつまでもやり続けようとする。
それほどに「やりたい!」と思ってもらえれば最高ですね。
 
しかし、どれだけ上記の条件が揃っていたとしても、
誰が言っても同じ効果が得られるかというとそうはいきません。
 
人は「誰に言われたか?」によって自ずと動きが変わるもの。
 
だからリーダーは常に自分を磨き、
「あなたがおっしゃることなら何でもします!」と
言ってもらえるほどの人徳を積んでいかなければならないのです。
 
逆に言えば、それほどの人徳があれば、
たとえ間違っていると感じても、たとえいまはできないことであっても、
たとえこれまでは好きではなかったことであろうとも、
やりとげようとする──それが人というものではないでしょうか。
 
そこまでの人徳のない私としては、やはり先の三つの条件を常に意識し、
実践し、上手くいかなければ工夫をし、何度も繰り返し、
繰り返ししていくうちに動いてもらえるようにする、そういう姿勢が必要なように思います。
もちろん、人徳を高めるための努力を怠ることなく実践しつつ……ですが。
 
そして、もう一つ大切なことがあります。
それは、こちらの意図が正しく伝わっているか、ということ。
 
相手は一生懸命こちらの意図を汲みとって行動しようとしているけれども、
正しく伝わっていないからできていないように見える。
このパターンは意外に多いと思います。
 
この問題の解決には、やはり「繰り返し、繰り返し」
「手を変え品を変え」「ことあるごとに」しかないと思います。
 
もともと価値観も、生い立ちも、性格も違う人間同士で、
簡単に伝わると思うこと自体がナンセンスです。
 
「できて当たり前、できなければバカヤロー!」から
「できなくて当たり前、できてくれたらありがとう!」に切り替える。
 
できるようになるまで忍耐強く我慢する。
 
わが子に対してであればできるこのような姿勢が、
実は一番大切ではないかと思います。




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2012年04月10日(火)更新

本当の知恵、ということ


千年続く 会社をめざそう㉜
■本当の知恵、ということ■



 
先日、ある社長様から「名南さんの研修はよい」とのお褒めの言葉をいただきました。
その理由をお尋ねすると「実践が伴うからだ」とおっしゃいます。
 
私どもの研修では、終了後に「チャレンジングシート」なるものを書いていただき、
その研修で学んだことの振り返りと、その学びから
実践を決意した項目を明らかにするようにしています。
 
また複数の講座が何か月かにわたって
ワンセットになっているようなシリーズ研修では、
毎講、前回記載したチャレンジング項目の実践状況を
講座内で報告いただいています。

これによって、実践の決意を確たるものにするとともに、
自分一人では経験できないことを他者の発表によって知ることができ、
生きた事例の学びとなります。
 
私どもの創業者・佐藤澄男は、
「成長する人間の共通項は“勉強好き”“素直さ”“プラス発想”」と口にし、
たとえば新聞を13紙取って毎日すべてに目を通すなど、自ら実践をしておりました。
 
その佐藤は常々こう言っていました。

「知識は仕入れるだけでは意味がない。それを使って経験して、
知恵にして初めて生きたものになる。経験せよ」

チャレンジングシートの記載と、その後の実践報告は、
まさにその考えを踏襲するための仕掛けです。
 
残念ながら、なかには毎度毎度、
「やろうと思っていたけど、実践できなかった」と口にする人がいます。
朗々と「できない理由」を述べる彼に対して、
周囲の視線がだんだん冷たくなっていくのを止めることはできません。
実践を伴わない者は信頼を失う、これもまた事実のようです。
 
そのような人に対して私は「つべこべ言わずに実践せよ」と厳しく迫ります。
佐藤もいうように、私も「実践しなければ何もならない」と、
これまでのわずかな人生経験を通じて痛感しているからです。
 
逆に、人は何かしなければならなくなったとき、過去に仕入れておいた
知識の扉がにわかに開き、自らの実体験と組み合わさり、
知恵となって湧き出してくるものだと思います。
知恵というものは、実体験がないと生まれないのです。
 
またその知恵もただ頭で考えているだけではだめで、
発揮しなければなりません。
その発揮がまた、実体験となり、生きた事例を生み出していくからです。
 
仕入れ(学び)て、製造(体験)して、販売(発揮)して、
初めてビジネスは成り立つのと同じです。
 
一方、トップの実践は、ただそれだけにとどまりません。
 
当社の創業者は、社内の誰もが認める当社一の勉強好きでした。
だから勉強することがきわめて当然のこととして
私どもに身についたのだと思います。
トップの実践は、単に自らの知恵の増殖のみならず、
社員教育の最大の成功要因になるものです。
 
実践を通じて自ら範を示す──。
トップに最も必要な要素だと思います。
 


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2012年03月27日(火)更新

本物に触れる、ということ

千年続く 会社をめざそう㉛
■本物に触れる、ということ■



 
先日、ちょっとした贅沢をしてきました。
九州一といわれる寿司屋さんで仲間と食事をしてきたのです。
 
はじめのうちは、「ネタもよいけど、値段もよい」と脅されていたこともあって、
値札のないお品書きとネタケースを交互にを睨みつけ、
眉間に皺を寄せながら、おそるおそる注文をしていました。

しかし、十数分経ったあたりから「もういいや!」と、
お店そのものを楽しむことに決めました。
それほど「値段以上の満足が得られるだろう」との確信が得られたからです。
 
やはり、値段が高くても人気があるものには、
そうなっているだけの理由があります。
しかし残念ながらその本質を言葉で表現するのは難しい。
旨いものは旨い、よいものはよい、としかいえないものです。
だから実際に体感するしかありません。
 
そして経営者は、その本質を探究する努力を惜しんではならないと思います。
よいもの、本物に触れることによってその意味が五感から伝わり、
暗黙知によって身につく、否、それによってしか、
身につけることはできないと思います。
 
また、よいものに触れることは、それに似合う自分になろうという
強い意志・意欲を醸成します。
その意味においても高くてもよいものに触れる価値は高い。
 
逆に言えば、よくないものに触れ続けると、よくない人間になる、
ということ。お互いに気を付けなければなりません。
 
『ニュートップリーダー』酒井編集長によれば、
かのメーカーズシャツ鎌倉の創業者・貞末良雄氏は
「経営者はグレートコンシューマたれ」が信念だとお聞きしましたが、
私も全く同感です。
 
もちろん、奢侈(しゃし:度を過ぎて贅沢なこと。身分不相応に金を費やすこと)
までいってはいけません。何事も行き過ぎはよくない。
でも、心を豊かにする贅沢さは必要。
その意味において「嗜み(たしなみ)」と言ったほうがしっくりくるかもしれません。
 
以前このような話をしたところ、「少ない予算の中ではずれのないようにしたい」と、
その見極め方を尋ねられたことがあります。なかなか難しい質問です。
 
私はその時、次のように答えました。
 
「内面的な魅力があり憧れることができる人、こういう人になりたいと思える人が触れるもの、
ないしは、信頼できる方から『これはいいから』と勧められたもの」と。
 
また、連れて行ってもらっているうちはダメ。
わかったつもりになるだけで、その実、何も得られない。
もちろん紹介があれば、入口が違うのはたしかです。
いきなり奥の院から参拝させていただくようなもの。
本質に近づくスピードが格段に違ってきます。

でも、本質の扉は、自分の「あし」でのれんをくぐらないと開けられない。
 
これからも自分の「あし」を使って、
ほどよい嗜みを身につけていきたいと思います。
内面的に魅力ある人間になれるように・・・。




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2012年03月13日(火)更新

クレームに応える、ということ

千年続く 会社をめざそう㉚
■クレームに応える、ということ■
 

あるお客様を初めてお訪ねしたときのこと。
2年前からお取引させていただいているものの、
遠方であることもあり、私自身はなかなかお邪魔できずにおりました。
 
アポイントを入れさせていただいた時には、
「うちのような小さなところに来ていただく必要はありませんよ」と
おっしゃっていたのですが、初対面の挨拶もそこそこに、
いろいろなお話しをしてくださいました。
それは通常「クレーム」と言われる内容でした。
 
話され方は非常に穏やかで、言葉も柔らかいものでしたが、
その内容はかなり厳しいものでした。
次々に出てくるその内容に、
「そこまで思ってらっしゃったのか」と、
とても申し訳なく耳を傾けていました。
 
その途中、少しほろ苦い経験を思い起こしていました。
 
私がまだ入社間もない鼻っ柱の強さだけが取り柄だった頃、
あるお客様からお叱りを頂戴したのですが、
その口ぶり、容赦ない言葉に「逆ギレ」し、
大喧嘩して帰ってきてしまったことがありました。
 
結果としては、その後上司が訪問し、
平身低頭お詫びをしてもらって事なきを得たのですが、
当然にして大目玉を喰らいました。
 
その時、その上司から教えていただいたのが、クレームへの対し方でした。
 
・クレームが発生したら、何をおいてでも飛んで行け。それで7割は解決する。
・ 相手の話は、どれだけ理不尽だと感じたとしても遮るな。とにかく聴いて、聴いて、聴き倒せ。
・否定はするな。先方がそう感じていることは事実であり、変えることはできない。  
・話が終わっても、「他にありませんか?」とさらに突っ込め。「もうこれ以上出すものはない」とスッキリされたら、その時点で9割は解決している。
・その上で改善策を示す。できないことはできないと言えばよい。大切なのはその姿勢そのものなのだから。
 
以来クレーム発生時には、どれだけ腹が立っても、悔しくても、
この教えを実践しました。
結果は……上司の正しさを実証するばかりでした。
 
大チョンボで、大クレームを起こしたある卸売業のお客様にいたっては、
訴えられても仕方がないと腹を括ってハンドルを握って車を飛ばし、
通常30分はかかるところを電話が入ってから15分で飛んで行ったことを
「営業の鑑だ」と逆に褒められ、
それまで以上のご依頼をいただくまでになりました。決して褒められることではありませんが(苦笑)。
 
一方で、役職が上がっていくたびに、
直接クレームを言われることが少なくなったように感じます。
 
これは決して「要求要望」がなくなっているのではなく、言いにくくなっているのだろうと思います。
 
お話をお聴きしながら、ほかのお客様に対して申し訳ない気持ちが湧いてきました。
 
そして、口にすることそのものが決して気分がよいわけがないのに、
こうしてお伝えいただけるお客様に、
本当にありがたいと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 
1時間ほど正直なお気持ちをお聴きした後、
「いろいろ言ったけど、これからもよろしくお願いします」と
笑顔で締め括っていただくことができました。
またもや、かつての上司の言葉の正しさが実証された一幕でした。




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2012年02月22日(水)更新

10年後を考える、ということ

千年続く 会社をめざそう㉙
■10年後を考える、ということ■


 
3月を目前にして、今、私は10年という年月の重みを感じています。
 
10年前の3月、私は36歳で役員にしていただきました。
この間、役員としていかほどの役割を担えたかは、
私自身が判断すべきことではないとは思いますが、
少なくとも役員として過ごしたこの10年の歳月は、
私自身を成長させてくれたことに間違いありません。
 
また、その人事のあった日は、私にとって
家業を継ぐという道を完全に断ち切った時でもありました。

その申し訳なさ、せめてもの罪滅ぼしとの気持ちが、
事業承継を生涯の仕事にしようと決めた要因の一つであることもまた、間違いありません。
 
さてその10年前、私は個人的な明確な目標を持つことをやめました。
 
出典は失念しましたが、以前、書物で目にした分類で、
人間の生き方には「目標達成型」と「天命追求型」があるとのこと。
自分で定めた目標を追求していくタイプと、今の今自分の置かれた環境で
ベストを尽くすタイプ、という違いなのだそうです。
 
後者の代表選手は豊臣秀吉なのだとか。
確かに彼が信長に仕え始めた時点で天下取りなどは夢にも思わなかったのでしょう。
しかし彼は確かに手に入れた。
信長の信を得るという天命を追求した結果だ、
と言われれば確かにそうだというほかありません。
 
私は役員を拝命するとき、そこまで大袈裟に考えていたわけではないのですが、
概ね「天命追求型」的な生き方をしようと決めた、
そんな気持であったように思います。

少なくとも「一部門長の立場から離れ、全社員の公僕たろう」と
思いを定めていました。それが役員たるものだと思っていたからです。
 
以来、総務・人事、支店開設、ファイナンシャルプランナー、M&Aなど、
請われるままにいろいろな部署を体験させていただきました。
どちらかといえば「目標達成型」であった私としては、
180度異なる生き方を自ら選択しました。

そしてその選択は今、とても正しかったと確信しています。
 
そんな私ですが、後継者には「目標達成型であれ」と説きます。
「どんなに周りが否定しようとも、10年後のあるべき姿を示せるのが経営者だ」と……。
 
それはなぜか。
 
私は経営者たるもの、「目標達成型」と「天命追求型」の両方を
兼ね備えていなければならない、と思っています。

そして若い頃、とことん「目標達成型」をやった経営者ほど、
それと等しく「天命追求型」を極めることができる、そう思うのです。
 
豊臣秀吉も、徹底して「目標達成型」を貫いてきたからこそ、
天命を預けることができる人に出会えた、と私には思えてなりません。
 
いずれにしろ、若い頃は徹底して「目標達成型」であることが
肝要であると思います。

そして最低10年は一つの目標に向けて、ひたむきにひた走る、
そういう経験が必要なのだと思います。
 
そして、そういう経営者は、
縁あって出会った社員の10年後を慮って言動することもできるように思います。
 
吉田松陰の言葉に、
 
「小過を以て人を棄てては大才は決して得べからず」
 
というものがありますが、10年後の成長した姿を夢見て、
目先の小さな過ちを笑って許せる、
そういう懐の深さを感じる経営者になれる、と感じるのです。
 
「十年一昔」とはよくいったもので、10年単位で物事を考えることは、
とても大切なことだと思います。




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2012年02月09日(木)更新

取るべき道は自ずと見えてくる、ということ

千年続く 会社をめざそう㉘
■取るべき道は自ずと見えてくる、ということ■



 
「○○しようと思うのですが、どうでしょうか?」
 
という質問をよく受けます。
これに対して私は、
 
「やりたいのであればやってみてはどうですか?」 
 
と返答します。
事実、物事はやってみないとわからないからで、
そこは理屈ではありません。

やりたいと思うのならやる、それほどでもなければやらない、
それしかありません。
 
そもそも、100%大丈夫であることが保証されているものなど
この世にはありませんし、
仮にそのようなものが在るとすれば、必ずや既に誰かがやっていて、
手を出したとしても時すでに遅し。
相手の背中は遥か遠く彼方に見えることでしょう。
 
逆に経営者は、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」では困ります。
成功の見込みが立たないものを投機的に行うのは経営者ではない。
ギャンブラーであってはなりません。
 
「老年のパイロットや危険知らずのパイロットはいるが、
危険知らずで長生きしたパイロットはいない。」
 
とは投資専門家として著名なチャールズ・D・エリス氏の言葉ですが、
経営でも同じ。

「太く短く」的な発想で、社員さんや家族を
路頭に迷わすようなことをしてはなりません。
 
感覚的なものですが、6~7割の見込みがあればやってみる、
そういう目安を持つことも大切だと思います。
 
しかしそれよりも大切なのは、
「とことんやり切る覚悟はあるか」ということ。
「やってみて、うまくいったらラッキー」的な心構えでは
とても成功を勝ち取ることなどできません。
大事なのは「何があってもやり切る!」という姿勢だと思います。
 
そして、その覚悟で臨んだとき、
そのことそのものは手に入れることができなかったとしても、
それを通じて新たな、本来取るべき道が見えてくる、
そういうものだと思います。
 
「○○しようと思うのですが、どうでしょうか?」
 
この問いが、単に自分の覚悟を後押しして欲しい、
他者から太鼓判を押されることで、さらなる勇気を持ちたい、
そういうものであればよいのですが、
「ダメと言われたら止めよう」程度のものであれば、
はなからやらない方がよい。
 
もっと言えば、多くの人がダメ出しするものの方が、
実現できた時の効果は絶大!
 
「否定されたら大喜びでGO!」

くらいの気持ちが大切です。
 
いずれにしろ、確かに言えるのは、
「とことんやってみれば自ずと取るべき道がみえてくる」
ということです。



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2012年01月26日(木)更新

バカになる、ということ

千年続く 会社をめざそう㉗
■バカになる、ということ■


 
「優秀な経営者とは、どのような人ですか?」
 
後継者から受ける質問の中でも、かなりのウェイトを占めるものです。
私は即座に反します。「成果を上げることができる人です」と。
 
すると必ず返ってくる質問は
「経営者が挙げるべき成果とはなんですか?」というもの。
 
これに対しても即座に、「お金を残せる人です」と答えます。
 
「お金を残す」何だか守銭奴のようですね。
もちろん、お金を増やすことが目的ということではありません。
あくまでもバロメーターです。
 
私は「売上高はご奉仕高、キャッシュは誠実のバロメーター」だと思っています。
誠実な商いをして、お金が残らないなんてあり得ない。
もし誠心誠意を尽くしてお金が残せないとすれば、
その心や気持ちを表す方法・手段がおかしい。
まさに「誠の実」が伴っていないのだと思うのです。
 
特に後継者の方には、次のような考えを
きちんと持っていただきたいと思います。
 
それは、親・先祖からいくら預かって、そのうちいかほど使わせていただいて、
それを活かすことで自分の代でどれだけ産み出して、
結果として、先代から預かったものにどれだけプラスして次代に渡すことができたか。
それこそが自代の成果であり、そのバロメーターである、ということです。
 
さらに質問は続きます。
「ではどうやったら成果を出せる経営者になれるのですか?」
 
残念ながらこれには正解はありません。
ただ、成果を上げていらっしゃる経営者を眺めてみると、
いくつかの共通点があることに気づきます。
特に若き後継者に学んでいただきたいのは、「バカになれ」ということ。
 
第一に、商いに対して、バカがつくほどド真剣になれ、ということ。
これは説明はいりませんね。
 
第二に、人に対してバカになれ、ということ。
誠心誠意商いすればするほど、当然に人と衝突することになります。
先代、社員さん、取引先さん・・・、立場が違った者同士が真剣になれば、衝突は避けられない。
 
しかしいくら理屈で切り返しても残るのはシコリだけ。
その時に「バカになる」。いったん受け入れる、ということですね。
捨てる神あれば拾う神あり、
その誠実さが、新たなものを産みだすものだと思います。
 
人がついてくるトップは、どこか可愛らしいところがある、
と感じるのは私だけでしょうか?
 
バカの効用、是非考えていただきたいと思います。
  



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2012年01月11日(水)更新

前を向いて撤退する、ということ

千年続く会社をめざそう㉖
■前を向いて撤退する、ということ■



新年、明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 
さて新年早々のテーマが「撤退」とは、
あまり相応しくないようにも思いますが、
今年は、多くの企業経営者にとり、大変大切な視点であると思いますので、
あえて選ばせていただきました。
 
今年の干支は「辰」。

聞くところによると、辰年は今まで内に蔵されていた、
あるいは紆余曲折した陽気な活動が外に出て活発に動く年なのだとか。
これまで蓄積してきたものを芽吹かせる年である、そう考えることができそうですね。
 
ただし、新たな取り組みをするとき大切なのは、
「何をするか」よりも先に「何を捨てるか」にあります。
特にないもの尽くしの中小企業ではとても大切な視点です。
何かを捨てないと、新たなものに取り組むだけのパワーが確保できないからです。
 
また新規事業は「100%大丈夫」などということはありませんし、
仮にそのような状態であれば既に手遅れ。他社が悠々と先を走っていることでしょう。
しかし、6割を下回るような確率では賭博に近い。
できれば7割の勝算を持って打って出たいところ。
それでも3割は撤退の可能性がある。

さらには撤退に要するパワーは進出の際のそれとの比ではありません。
新たな事業分野に進出するときには、
常に撤退まで考えておかなければならないのです。
 
この「撤退」というテーマを考える時、
大切なことが3つあります。
 
第一に、新規事業進出前に「撤退の目安」をきちんと設けておくこと。
「○年以内に○○までにできなければ撤退」という明確なゴールラインを設定しておくこと。
それは決して高い目標でなくても構いません。
“千年経営”を目指すなら、十年単位の設定でも構わない。
大切なのは、甘えと妥協とマンネリを排除する姿勢そのものです。
 
第二に、その目安を超えたら、いかなる理由があっても撤退すること。
「もうちょっと頑張れば」「あと少し投資すれば」は禁物。
一度の妥協は、次々と連鎖を起こしていきます。鬼となって実行する必要がある。
ただし、撤退の仕方には留意が必要でしょう。

「立つ鳥跡を濁さず」のことわざの通り、
利害関係者それぞれが“納得感”のある方法を検討する必要があります。
いろいろな会社を見させていただきましたが、
「去り際の美しさ」が企業のモラルを映し出すとともに、
のちの信用を左右するものだと感じます。
 
第三に、撤退するなら、それに倍する魅力ある新たな取り組みに邁進すること。
単なる撤退は、不安と不満と疲弊しか残しません。
特にその事業に関与した者は、多かれ少なかれそういう感情を持つのが当たり前。
ある意味、リハビリ期間はどうしても必要です。
しかし、いつまでもそんなところで留まってもらっていては困ります。
その底なし沼から這い上がっていくためには、魅力ある別天地が必要なのです。
 
要するに「進出」と「撤退」は、実は常に同時並行で考えられるべきことなのです。
 
新しい年が始まり、新たな取り組みを検討されているところだと思います。
そのときにはぜひ「撤退」についても考えていただきたい。
それは決してネガティブな姿勢などではなく、
新たな取り組みの成功確率を高めるためにも必要なことだと思います。




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