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千年続く 会社をめざそう㉜
■本当の知恵、ということ■
先日、ある社長様から「名南さんの研修はよい」とのお褒めの言葉をいただきました。
その理由をお尋ねすると「実践が伴うからだ」とおっしゃいます。
私どもの研修では、終了後に「チャレンジングシート」なるものを書いていただき、
その研修で学んだことの振り返りと、その学びから
実践を決意した項目を明らかにするようにしています。
また複数の講座が何か月かにわたって
ワンセットになっているようなシリーズ研修では、
毎講、前回記載したチャレンジング項目の実践状況を
講座内で報告いただいています。
これによって、実践の決意を確たるものにするとともに、
自分一人では経験できないことを他者の発表によって知ることができ、
生きた事例の学びとなります。
私どもの創業者・佐藤澄男は、
「成長する人間の共通項は“勉強好き”“素直さ”“プラス発想”」と口にし、
たとえば新聞を13紙取って毎日すべてに目を通すなど、自ら実践をしておりました。
その佐藤は常々こう言っていました。
「知識は仕入れるだけでは意味がない。それを使って経験して、
知恵にして初めて生きたものになる。経験せよ」
チャレンジングシートの記載と、その後の実践報告は、
まさにその考えを踏襲するための仕掛けです。
残念ながら、なかには毎度毎度、
「やろうと思っていたけど、実践できなかった」と口にする人がいます。
朗々と「できない理由」を述べる彼に対して、
周囲の視線がだんだん冷たくなっていくのを止めることはできません。
実践を伴わない者は信頼を失う、これもまた事実のようです。
そのような人に対して私は「つべこべ言わずに実践せよ」と厳しく迫ります。
佐藤もいうように、私も「実践しなければ何もならない」と、
これまでのわずかな人生経験を通じて痛感しているからです。
逆に、人は何かしなければならなくなったとき、過去に仕入れておいた
知識の扉がにわかに開き、自らの実体験と組み合わさり、
知恵となって湧き出してくるものだと思います。
知恵というものは、実体験がないと生まれないのです。
またその知恵もただ頭で考えているだけではだめで、
発揮しなければなりません。
その発揮がまた、実体験となり、生きた事例を生み出していくからです。
仕入れ(学び)て、製造(体験)して、販売(発揮)して、
初めてビジネスは成り立つのと同じです。
一方、トップの実践は、ただそれだけにとどまりません。
当社の創業者は、社内の誰もが認める当社一の勉強好きでした。
だから勉強することがきわめて当然のこととして
私どもに身についたのだと思います。
トップの実践は、単に自らの知恵の増殖のみならず、
社員教育の最大の成功要因になるものです。
実践を通じて自ら範を示す──。
トップに最も必要な要素だと思います。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
■日本法人会千年経営研究会 こちら>>>
2012年05月23日(水)更新
「心の中の鬼」に打ち克つ、ということ
千年続く 会社をめざそう㉟
■「心の中の鬼」に打ち克つ、ということ■
天は時に人を試すようなことをなさいます。
人はそれを「苦難」とか「窮地」などと呼びます。
そして人は窮地に陥ったとき、それまで隠れていた醜い、
卑しい、惨い、はしたない……認めたくない自分の本性を知ることがあります。
私などはそのたびに、そんな自分がいるのかと恐ろしく、
情けなく、自虐の念にさいなまれることになります。
先日、そのような思いを、尊敬する、今年82歳になられる
ある企業の会長さんにお話ししたところ、
「私なんて、今でも自虐の念の繰り返し。孫のようなあなたが
そうであるのは当たり前です」
と大笑いされ、少し安堵させてもらいました。
しかしそのすぐ後で、
「心の中に巣くうその鬼を、表に出してはいけませんよ」と
私をたしなめられ、次のように続けられました。
「人間は、他の生き物のように自分の外には天敵はいません。
人間の天敵は、自分の心に巣食うのです。その天敵を外に出し
たら身の破滅。人からはこちらの心は見えません。人が見てい
るのは己の行動。その窮地に陥った時の行動が、結局はその人
の評価を決めます。鬼の心そのままに行動を取ったら、一度に
信頼を失い、身を滅ぼすのです。それまでどんなに厚い信頼を
受けていた人でも、一瞬にしてすべてを失う。私はそういう人
たちをごまんと見てきました」
そして、次のようにまとめられました。
「心の中の鬼はどうしようもない。ただその鬼を自覚した時、
それに打ち克つ行動を取る。その対応が己の器と他からの信頼
を創るのです」
その後、「いやいや偉そうなことを……」と頭をかきながら、
「私はまだ一度も“完勝”したことがない。できておれば、
もっと大きな会社にできとったのになぁ」と、
はにかみながらおっしゃるその好々爺の笑みを拝顔しながら、
皺の数ほどの克己の姿を想像させていただきました。
また一つ、大きな気づきを得させていただくことができました。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
■日本法人会千年経営研究会 こちら>>>
■「心の中の鬼」に打ち克つ、ということ■
天は時に人を試すようなことをなさいます。
人はそれを「苦難」とか「窮地」などと呼びます。
そして人は窮地に陥ったとき、それまで隠れていた醜い、
卑しい、惨い、はしたない……認めたくない自分の本性を知ることがあります。
私などはそのたびに、そんな自分がいるのかと恐ろしく、
情けなく、自虐の念にさいなまれることになります。
先日、そのような思いを、尊敬する、今年82歳になられる
ある企業の会長さんにお話ししたところ、
「私なんて、今でも自虐の念の繰り返し。孫のようなあなたが
そうであるのは当たり前です」
と大笑いされ、少し安堵させてもらいました。
しかしそのすぐ後で、
「心の中に巣くうその鬼を、表に出してはいけませんよ」と
私をたしなめられ、次のように続けられました。
「人間は、他の生き物のように自分の外には天敵はいません。
人間の天敵は、自分の心に巣食うのです。その天敵を外に出し
たら身の破滅。人からはこちらの心は見えません。人が見てい
るのは己の行動。その窮地に陥った時の行動が、結局はその人
の評価を決めます。鬼の心そのままに行動を取ったら、一度に
信頼を失い、身を滅ぼすのです。それまでどんなに厚い信頼を
受けていた人でも、一瞬にしてすべてを失う。私はそういう人
たちをごまんと見てきました」
そして、次のようにまとめられました。
「心の中の鬼はどうしようもない。ただその鬼を自覚した時、
それに打ち克つ行動を取る。その対応が己の器と他からの信頼
を創るのです」
その後、「いやいや偉そうなことを……」と頭をかきながら、
「私はまだ一度も“完勝”したことがない。できておれば、
もっと大きな会社にできとったのになぁ」と、
はにかみながらおっしゃるその好々爺の笑みを拝顔しながら、
皺の数ほどの克己の姿を想像させていただきました。
また一つ、大きな気づきを得させていただくことができました。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
■日本法人会千年経営研究会 こちら>>>
2012年05月08日(火)更新
計画は前半の半年で8割やり切る、ということ
千年続く 会社をめざそう㉞
■計画は前半の半年で8割やり切る、ということ■
「追い込まれないとなかなか動けない」私は、
この時代、成果を上げておられる方々を観察した結果、
確信をもち、常に意識していることがあります。それは、
「計画は、前半の半年で8割やり切るつもりで立てる」
ということ。
そしてその意味を、下記のように理由づけしています。
第一に、「この世にはままならぬ日がある」ということ。
これは近年、多くの人が実感していることではないでしょうか。
明日があると思うから先延ばしをする。
しかし余儀なく空白の日々を過ごさねばならないときがあると諦観すれば、
よもや先延ばしなどできようはずがありません。
以前、ある方から「不景気とは不勉強なり」という言葉を教えていただきました。
少なくとも私たち経営者は、自社の問題を経営環境のせいにはできません。
よってあらゆる状況を予測して、対処しなければなりません。
第二に、来期計画をじっくり検討する時間をきちんと設けるということ。
現在のような混沌とした時代にあっては、
トップの情報なり、予見で十分とはとうてい言えません。
現場で社員さんが感じて吸い上げてくる些細な変化や顧客の要望を集約し、
社内の知恵を結集して皆でベクトルを合わせていくことが求められます。
そこにはどうしても時間を要する。
走りながら考えることも重要ですが、
来期の展望を考えるにあたっては、
じっくり時間を取る余裕も必要、ということです。
第三に、メリハリをつけるということ。
人の緊張はそう長く続くものではありません。
また業種にもよるのでしょうが、成果には季節による違いもあるでしょう。
そう考えれば、花も実もなる時期に一気呵成に成果を上げる、
そういう姿勢が必要なのだと思います。
逆に閑散期は無理をせず、積極的に休みを取る。
またその時をリラックスすることのみならず、日常とは異なる体験を行うことで、
見えざる未来への糸口を探す機会にできたら最高でしょう。
このように考えますと、ままならぬ日が3ヶ月、
じっくり計画を立てるのが1か月、
ゆっくり体を休め、未知なる世界を感じる時間が1か月、
都合5か月は開けておきたい。
これが私の「半年で8割」の根拠です。
そしてできればこの半年は前半に集中させたい、そう考えています。
もしままならぬ日がなかったならラッキーです。
さらなる成果を求めてもよいし、
じっくり考える時間や情報収集の時間を増やしてもよい。
いずれにしろ「半年8割」の法則は、安定的に成果を挙げる人の共通項だと思います。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
■日本法人会千年経営研究会 こちら>>>
■計画は前半の半年で8割やり切る、ということ■
「追い込まれないとなかなか動けない」私は、
この時代、成果を上げておられる方々を観察した結果、
確信をもち、常に意識していることがあります。それは、
「計画は、前半の半年で8割やり切るつもりで立てる」
ということ。
そしてその意味を、下記のように理由づけしています。
第一に、「この世にはままならぬ日がある」ということ。
これは近年、多くの人が実感していることではないでしょうか。
明日があると思うから先延ばしをする。
しかし余儀なく空白の日々を過ごさねばならないときがあると諦観すれば、
よもや先延ばしなどできようはずがありません。
以前、ある方から「不景気とは不勉強なり」という言葉を教えていただきました。
少なくとも私たち経営者は、自社の問題を経営環境のせいにはできません。
よってあらゆる状況を予測して、対処しなければなりません。
第二に、来期計画をじっくり検討する時間をきちんと設けるということ。
現在のような混沌とした時代にあっては、
トップの情報なり、予見で十分とはとうてい言えません。
現場で社員さんが感じて吸い上げてくる些細な変化や顧客の要望を集約し、
社内の知恵を結集して皆でベクトルを合わせていくことが求められます。
そこにはどうしても時間を要する。
走りながら考えることも重要ですが、
来期の展望を考えるにあたっては、
じっくり時間を取る余裕も必要、ということです。
第三に、メリハリをつけるということ。
人の緊張はそう長く続くものではありません。
また業種にもよるのでしょうが、成果には季節による違いもあるでしょう。
そう考えれば、花も実もなる時期に一気呵成に成果を上げる、
そういう姿勢が必要なのだと思います。
逆に閑散期は無理をせず、積極的に休みを取る。
またその時をリラックスすることのみならず、日常とは異なる体験を行うことで、
見えざる未来への糸口を探す機会にできたら最高でしょう。
このように考えますと、ままならぬ日が3ヶ月、
じっくり計画を立てるのが1か月、
ゆっくり体を休め、未知なる世界を感じる時間が1か月、
都合5か月は開けておきたい。
これが私の「半年で8割」の根拠です。
そしてできればこの半年は前半に集中させたい、そう考えています。
もしままならぬ日がなかったならラッキーです。
さらなる成果を求めてもよいし、
じっくり考える時間や情報収集の時間を増やしてもよい。
いずれにしろ「半年8割」の法則は、安定的に成果を挙げる人の共通項だと思います。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
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2012年04月25日(水)更新
人を巻き込む、ということ
千年続く 会社をつくろう㉝
■人を巻き込む、ということ■
人を巻き込むというのは本当に難しいことです。
本人は決して面従腹背しているわけではなくとも、
なかなかこちらの思う通りとはいきません。
人を動かすには、いくつかの条件があるようです。
私は最低三つ必要であると思っています。
一つは、こちらの言っていることが「正しい」ことだと
わかってもらうこと。
間違っていると感じたら耳も貸してもらえません。
二つ目に、当人が「できる」ことであること。
人は自信のあることであればチャレンジングに行動しますが、
そうでなければできるだけ避けようとするもの。
少なくとも「私ならできそうだ」と思ってもらわなければいけません。
最後に、「やりたい!」と思ってもらうこと。
「感動」とは「感じて動く」と書きますが、まさにこの状態です。
結局のところ、人間は好き嫌いで判断する生き物。
好きなことであれば、どんなにできない条件が揃っていてもやろうとしますし、
いつまでもやり続けようとする。
それほどに「やりたい!」と思ってもらえれば最高ですね。
しかし、どれだけ上記の条件が揃っていたとしても、
誰が言っても同じ効果が得られるかというとそうはいきません。
人は「誰に言われたか?」によって自ずと動きが変わるもの。
だからリーダーは常に自分を磨き、
「あなたがおっしゃることなら何でもします!」と
言ってもらえるほどの人徳を積んでいかなければならないのです。
逆に言えば、それほどの人徳があれば、
たとえ間違っていると感じても、たとえいまはできないことであっても、
たとえこれまでは好きではなかったことであろうとも、
やりとげようとする──それが人というものではないでしょうか。
そこまでの人徳のない私としては、やはり先の三つの条件を常に意識し、
実践し、上手くいかなければ工夫をし、何度も繰り返し、
繰り返ししていくうちに動いてもらえるようにする、そういう姿勢が必要なように思います。
もちろん、人徳を高めるための努力を怠ることなく実践しつつ……ですが。
そして、もう一つ大切なことがあります。
それは、こちらの意図が正しく伝わっているか、ということ。
相手は一生懸命こちらの意図を汲みとって行動しようとしているけれども、
正しく伝わっていないからできていないように見える。
このパターンは意外に多いと思います。
この問題の解決には、やはり「繰り返し、繰り返し」
「手を変え品を変え」「ことあるごとに」しかないと思います。
もともと価値観も、生い立ちも、性格も違う人間同士で、
簡単に伝わると思うこと自体がナンセンスです。
「できて当たり前、できなければバカヤロー!」から
「できなくて当たり前、できてくれたらありがとう!」に切り替える。
できるようになるまで忍耐強く我慢する。
わが子に対してであればできるこのような姿勢が、
実は一番大切ではないかと思います。
■人を巻き込む、ということ■
人を巻き込むというのは本当に難しいことです。
本人は決して面従腹背しているわけではなくとも、
なかなかこちらの思う通りとはいきません。
人を動かすには、いくつかの条件があるようです。
私は最低三つ必要であると思っています。
一つは、こちらの言っていることが「正しい」ことだと
わかってもらうこと。
間違っていると感じたら耳も貸してもらえません。
二つ目に、当人が「できる」ことであること。
人は自信のあることであればチャレンジングに行動しますが、
そうでなければできるだけ避けようとするもの。
少なくとも「私ならできそうだ」と思ってもらわなければいけません。
最後に、「やりたい!」と思ってもらうこと。
「感動」とは「感じて動く」と書きますが、まさにこの状態です。
結局のところ、人間は好き嫌いで判断する生き物。
好きなことであれば、どんなにできない条件が揃っていてもやろうとしますし、
いつまでもやり続けようとする。
それほどに「やりたい!」と思ってもらえれば最高ですね。
しかし、どれだけ上記の条件が揃っていたとしても、
誰が言っても同じ効果が得られるかというとそうはいきません。
人は「誰に言われたか?」によって自ずと動きが変わるもの。
だからリーダーは常に自分を磨き、
「あなたがおっしゃることなら何でもします!」と
言ってもらえるほどの人徳を積んでいかなければならないのです。
逆に言えば、それほどの人徳があれば、
たとえ間違っていると感じても、たとえいまはできないことであっても、
たとえこれまでは好きではなかったことであろうとも、
やりとげようとする──それが人というものではないでしょうか。
そこまでの人徳のない私としては、やはり先の三つの条件を常に意識し、
実践し、上手くいかなければ工夫をし、何度も繰り返し、
繰り返ししていくうちに動いてもらえるようにする、そういう姿勢が必要なように思います。
もちろん、人徳を高めるための努力を怠ることなく実践しつつ……ですが。
そして、もう一つ大切なことがあります。
それは、こちらの意図が正しく伝わっているか、ということ。
相手は一生懸命こちらの意図を汲みとって行動しようとしているけれども、
正しく伝わっていないからできていないように見える。
このパターンは意外に多いと思います。
この問題の解決には、やはり「繰り返し、繰り返し」
「手を変え品を変え」「ことあるごとに」しかないと思います。
もともと価値観も、生い立ちも、性格も違う人間同士で、
簡単に伝わると思うこと自体がナンセンスです。
「できて当たり前、できなければバカヤロー!」から
「できなくて当たり前、できてくれたらありがとう!」に切り替える。
できるようになるまで忍耐強く我慢する。
わが子に対してであればできるこのような姿勢が、
実は一番大切ではないかと思います。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
■日本法人会千年経営研究会 こちら>>>2012年04月10日(火)更新
本当の知恵、ということ
千年続く 会社をめざそう㉜
■本当の知恵、ということ■
先日、ある社長様から「名南さんの研修はよい」とのお褒めの言葉をいただきました。
その理由をお尋ねすると「実践が伴うからだ」とおっしゃいます。
私どもの研修では、終了後に「チャレンジングシート」なるものを書いていただき、
その研修で学んだことの振り返りと、その学びから
実践を決意した項目を明らかにするようにしています。
また複数の講座が何か月かにわたって
ワンセットになっているようなシリーズ研修では、
毎講、前回記載したチャレンジング項目の実践状況を
講座内で報告いただいています。
これによって、実践の決意を確たるものにするとともに、
自分一人では経験できないことを他者の発表によって知ることができ、
生きた事例の学びとなります。
私どもの創業者・佐藤澄男は、
「成長する人間の共通項は“勉強好き”“素直さ”“プラス発想”」と口にし、
たとえば新聞を13紙取って毎日すべてに目を通すなど、自ら実践をしておりました。
その佐藤は常々こう言っていました。
「知識は仕入れるだけでは意味がない。それを使って経験して、
知恵にして初めて生きたものになる。経験せよ」
チャレンジングシートの記載と、その後の実践報告は、
まさにその考えを踏襲するための仕掛けです。
残念ながら、なかには毎度毎度、
「やろうと思っていたけど、実践できなかった」と口にする人がいます。
朗々と「できない理由」を述べる彼に対して、
周囲の視線がだんだん冷たくなっていくのを止めることはできません。
実践を伴わない者は信頼を失う、これもまた事実のようです。
そのような人に対して私は「つべこべ言わずに実践せよ」と厳しく迫ります。
佐藤もいうように、私も「実践しなければ何もならない」と、
これまでのわずかな人生経験を通じて痛感しているからです。
逆に、人は何かしなければならなくなったとき、過去に仕入れておいた
知識の扉がにわかに開き、自らの実体験と組み合わさり、
知恵となって湧き出してくるものだと思います。
知恵というものは、実体験がないと生まれないのです。
またその知恵もただ頭で考えているだけではだめで、
発揮しなければなりません。
その発揮がまた、実体験となり、生きた事例を生み出していくからです。
仕入れ(学び)て、製造(体験)して、販売(発揮)して、
初めてビジネスは成り立つのと同じです。
一方、トップの実践は、ただそれだけにとどまりません。
当社の創業者は、社内の誰もが認める当社一の勉強好きでした。
だから勉強することがきわめて当然のこととして
私どもに身についたのだと思います。
トップの実践は、単に自らの知恵の増殖のみならず、
社員教育の最大の成功要因になるものです。
実践を通じて自ら範を示す──。
トップに最も必要な要素だと思います。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
■日本法人会千年経営研究会 こちら>>>
2012年03月27日(火)更新
本物に触れる、ということ
千年続く 会社をめざそう㉛
■本物に触れる、ということ■
先日、ちょっとした贅沢をしてきました。
九州一といわれる寿司屋さんで仲間と食事をしてきたのです。
はじめのうちは、「ネタもよいけど、値段もよい」と脅されていたこともあって、
値札のないお品書きとネタケースを交互にを睨みつけ、
眉間に皺を寄せながら、おそるおそる注文をしていました。
しかし、十数分経ったあたりから「もういいや!」と、
お店そのものを楽しむことに決めました。
それほど「値段以上の満足が得られるだろう」との確信が得られたからです。
やはり、値段が高くても人気があるものには、
そうなっているだけの理由があります。
しかし残念ながらその本質を言葉で表現するのは難しい。
旨いものは旨い、よいものはよい、としかいえないものです。
だから実際に体感するしかありません。
そして経営者は、その本質を探究する努力を惜しんではならないと思います。
よいもの、本物に触れることによってその意味が五感から伝わり、
暗黙知によって身につく、否、それによってしか、
身につけることはできないと思います。
また、よいものに触れることは、それに似合う自分になろうという
強い意志・意欲を醸成します。
その意味においても高くてもよいものに触れる価値は高い。
逆に言えば、よくないものに触れ続けると、よくない人間になる、
ということ。お互いに気を付けなければなりません。
『ニュートップリーダー』酒井編集長によれば、
かのメーカーズシャツ鎌倉の創業者・貞末良雄氏は
「経営者はグレートコンシューマたれ」が信念だとお聞きしましたが、
私も全く同感です。
もちろん、奢侈(しゃし:度を過ぎて贅沢なこと。身分不相応に金を費やすこと)
までいってはいけません。何事も行き過ぎはよくない。
でも、心を豊かにする贅沢さは必要。
その意味において「嗜み(たしなみ)」と言ったほうがしっくりくるかもしれません。
以前このような話をしたところ、「少ない予算の中ではずれのないようにしたい」と、
その見極め方を尋ねられたことがあります。なかなか難しい質問です。
私はその時、次のように答えました。
「内面的な魅力があり憧れることができる人、こういう人になりたいと思える人が触れるもの、
ないしは、信頼できる方から『これはいいから』と勧められたもの」と。
また、連れて行ってもらっているうちはダメ。
わかったつもりになるだけで、その実、何も得られない。
もちろん紹介があれば、入口が違うのはたしかです。
いきなり奥の院から参拝させていただくようなもの。
本質に近づくスピードが格段に違ってきます。
でも、本質の扉は、自分の「あし」でのれんをくぐらないと開けられない。
これからも自分の「あし」を使って、
ほどよい嗜みを身につけていきたいと思います。
内面的に魅力ある人間になれるように・・・。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
■日本法人会千年経営研究会 こちら>>>
■本物に触れる、ということ■
先日、ちょっとした贅沢をしてきました。
九州一といわれる寿司屋さんで仲間と食事をしてきたのです。
はじめのうちは、「ネタもよいけど、値段もよい」と脅されていたこともあって、
値札のないお品書きとネタケースを交互にを睨みつけ、
眉間に皺を寄せながら、おそるおそる注文をしていました。
しかし、十数分経ったあたりから「もういいや!」と、
お店そのものを楽しむことに決めました。
それほど「値段以上の満足が得られるだろう」との確信が得られたからです。
やはり、値段が高くても人気があるものには、
そうなっているだけの理由があります。
しかし残念ながらその本質を言葉で表現するのは難しい。
旨いものは旨い、よいものはよい、としかいえないものです。
だから実際に体感するしかありません。
そして経営者は、その本質を探究する努力を惜しんではならないと思います。
よいもの、本物に触れることによってその意味が五感から伝わり、
暗黙知によって身につく、否、それによってしか、
身につけることはできないと思います。
また、よいものに触れることは、それに似合う自分になろうという
強い意志・意欲を醸成します。
その意味においても高くてもよいものに触れる価値は高い。
逆に言えば、よくないものに触れ続けると、よくない人間になる、
ということ。お互いに気を付けなければなりません。
『ニュートップリーダー』酒井編集長によれば、
かのメーカーズシャツ鎌倉の創業者・貞末良雄氏は
「経営者はグレートコンシューマたれ」が信念だとお聞きしましたが、
私も全く同感です。
もちろん、奢侈(しゃし:度を過ぎて贅沢なこと。身分不相応に金を費やすこと)
までいってはいけません。何事も行き過ぎはよくない。
でも、心を豊かにする贅沢さは必要。
その意味において「嗜み(たしなみ)」と言ったほうがしっくりくるかもしれません。
以前このような話をしたところ、「少ない予算の中ではずれのないようにしたい」と、
その見極め方を尋ねられたことがあります。なかなか難しい質問です。
私はその時、次のように答えました。
「内面的な魅力があり憧れることができる人、こういう人になりたいと思える人が触れるもの、
ないしは、信頼できる方から『これはいいから』と勧められたもの」と。
また、連れて行ってもらっているうちはダメ。
わかったつもりになるだけで、その実、何も得られない。
もちろん紹介があれば、入口が違うのはたしかです。
いきなり奥の院から参拝させていただくようなもの。
本質に近づくスピードが格段に違ってきます。
でも、本質の扉は、自分の「あし」でのれんをくぐらないと開けられない。
これからも自分の「あし」を使って、
ほどよい嗜みを身につけていきたいと思います。
内面的に魅力ある人間になれるように・・・。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
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