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2011年09月30日(金)更新
会議を“必要善”にする、ということ
千年続く 会社をめざそう⑳
■会議を“必要善”にする、ということ■
会議はもともと必要悪です。なくてもよいのであればない方がよい。
なぜならば会議そのものは全く付加価値を生まない時間だからです。
しかし実際は、ちゃんと顔を突き合わせて話し合うことによってしか
得られない価値もあります。
会議そのものでは付加価値は産まなくとも、
付加価値業務の価値をより一層高めることができる可能性を秘めているのです。
その価値とは、
・わかっていたつもりだったが、実はわかっていなかったことに気付けた。
・知らなかった情報、気付かなかったアイディア、思いもよらなかった
素晴らしい考え方を手に入れることができた。
・自分自身の課題が鮮明になり、かつ解決策を見出すことができた。
・自分の使命は何で、具体的に何をすればよいのかが明確になった。
・組織として一枚岩の団結力を高めることができた。
などといったものです。
「必要なのに、ない方がよい」
会議を考える際には、まずこの原理原則を
きちんと認識する必要があると思います。
この両立のためには、いくつかの条件があります。
まず所要時間を決めること、そしてその時間を絶対に厳守することです。
これが崩れますと、無為な時間を延々と続けることになりかねません。
第二に、その場その場で結論を出し続けること。
何でもいいから結論を出す。
「それでは続きは次回に」などということをやっていますと、
結局、いつまで経っても結論が出ず、
何のために集まったのかさえわからなくなってしまいます。
この時間を守ることと結論を出すことを徹底的に訓練していきますと、
準備の仕方を変えざるを得なくなります。ここが大事です。
要するに、会議の充実度は、準備の段階でもう既に決まっているからです。
そして準備そのものが良いものになって来ますと、会議の活性度・充実度が高まってくる、
そういうものなのです。
第三に、これが一番重要なことなのですが、
会議は教育の場であるという認識を持つことです。
会議を実施した結果、上述のような価値が得られないといけません。
結果として出るのではなく、会議の主催者は、その価値を出すために会議をする、
という認識で運営をしなければなりません。
それができたとき、会議は、必要悪から“必要善”に変わるのです。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
■日本法人会千年経営研究会 こちら>>>
■会議を“必要善”にする、ということ■
会議はもともと必要悪です。なくてもよいのであればない方がよい。
なぜならば会議そのものは全く付加価値を生まない時間だからです。
しかし実際は、ちゃんと顔を突き合わせて話し合うことによってしか
得られない価値もあります。
会議そのものでは付加価値は産まなくとも、
付加価値業務の価値をより一層高めることができる可能性を秘めているのです。
その価値とは、
・わかっていたつもりだったが、実はわかっていなかったことに気付けた。
・知らなかった情報、気付かなかったアイディア、思いもよらなかった
素晴らしい考え方を手に入れることができた。
・自分自身の課題が鮮明になり、かつ解決策を見出すことができた。
・自分の使命は何で、具体的に何をすればよいのかが明確になった。
・組織として一枚岩の団結力を高めることができた。
などといったものです。
「必要なのに、ない方がよい」
会議を考える際には、まずこの原理原則を
きちんと認識する必要があると思います。
この両立のためには、いくつかの条件があります。
まず所要時間を決めること、そしてその時間を絶対に厳守することです。
これが崩れますと、無為な時間を延々と続けることになりかねません。
第二に、その場その場で結論を出し続けること。
何でもいいから結論を出す。
「それでは続きは次回に」などということをやっていますと、
結局、いつまで経っても結論が出ず、
何のために集まったのかさえわからなくなってしまいます。
この時間を守ることと結論を出すことを徹底的に訓練していきますと、
準備の仕方を変えざるを得なくなります。ここが大事です。
要するに、会議の充実度は、準備の段階でもう既に決まっているからです。
そして準備そのものが良いものになって来ますと、会議の活性度・充実度が高まってくる、
そういうものなのです。
第三に、これが一番重要なことなのですが、
会議は教育の場であるという認識を持つことです。
会議を実施した結果、上述のような価値が得られないといけません。
結果として出るのではなく、会議の主催者は、その価値を出すために会議をする、
という認識で運営をしなければなりません。
それができたとき、会議は、必要悪から“必要善”に変わるのです。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
■日本法人会千年経営研究会 こちら>>>
2011年09月22日(木)更新
チャンスの糸をたぐりよせる、ということ
千年続く 会社をめざそう⑲
■チャンスの糸をたぐりよせる、ということ■
フランスの作家、フランソワ・ラブレーの言葉に、
「機会(チャンス)は前頭(まえがしら)だけに髪毛(かみのけ)があり、
後頭(うしろあたま)ははげている。もしこれに出あったら前髪を捕らえよ。
一度にがしたら、神様でもこれを捕らえることは出来ぬ」
というものがあるそうです。確かにその通りだと思います。
ただ、先日ある後継者の方とお話をしていて、ふと違和感を覚えました。
実はこの違和感、この方だけに限らず、
たまに頭をもたげてくることがあります。
やはり後継者の方の場合が多いのですが……。
この違和感がどこから来るのか、それは、
「チャンスは何もないところから突然に現れる」
というニュアンスだけが、ことさらにクローズアップされることが
多いからだと思います。
「だからそのチャンスが現れるまでは、待つしかない」
「……」
これが現役経営者、特に百戦錬磨の経営者になればなるほど、
捉え方が変わってきます。
先日出会ったベテラン経営者の言葉をご紹介しましょう。
「チャンスが突然現れるのではなく、元々目の前にぶら下がっていたチャンスが
ぼんやりと浮かび上がってくる。それがチャンスだと気付いたら、その時を捉え
てググッと引き寄せる。そうしないと、するりとわが手から逃げ失せる」
「もう既にそれがチャンスであることがはっきりわかる状態になってしまってい
たら、自分が今まで一生懸命、何年も掛けて温めてきたものを、後から来た奴が
のうのうと奪い取っていく。あたかも自分が一から作り上げたような顔をして…」
「チャンスを浮かび上がらせるためには、自らの信念を信じ切って、目の前のこ
とをやり抜くのみ」
「そしてそれが7割がた行けると思ったら、覚悟を以てトライする。それが大事」
このへんが、地に足付いた実績のある方と
そうでない方との差ではないかと感じます。
要するにチャンスとは、何もないところから掴み取るのではなく、
すでに繋がっているものを切らさないようにする、
という姿勢が大切なように思います。
そしてそのチャンスの糸は、やるべきことをやるたびに
太く、強くなっていくのだと思います。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
■日本法人会千年経営研究会 こちら>>>
■チャンスの糸をたぐりよせる、ということ■
フランスの作家、フランソワ・ラブレーの言葉に、
「機会(チャンス)は前頭(まえがしら)だけに髪毛(かみのけ)があり、
後頭(うしろあたま)ははげている。もしこれに出あったら前髪を捕らえよ。
一度にがしたら、神様でもこれを捕らえることは出来ぬ」
というものがあるそうです。確かにその通りだと思います。
ただ、先日ある後継者の方とお話をしていて、ふと違和感を覚えました。
実はこの違和感、この方だけに限らず、
たまに頭をもたげてくることがあります。
やはり後継者の方の場合が多いのですが……。
この違和感がどこから来るのか、それは、
「チャンスは何もないところから突然に現れる」
というニュアンスだけが、ことさらにクローズアップされることが
多いからだと思います。
「だからそのチャンスが現れるまでは、待つしかない」
「……」
これが現役経営者、特に百戦錬磨の経営者になればなるほど、
捉え方が変わってきます。
先日出会ったベテラン経営者の言葉をご紹介しましょう。
「チャンスが突然現れるのではなく、元々目の前にぶら下がっていたチャンスが
ぼんやりと浮かび上がってくる。それがチャンスだと気付いたら、その時を捉え
てググッと引き寄せる。そうしないと、するりとわが手から逃げ失せる」
「もう既にそれがチャンスであることがはっきりわかる状態になってしまってい
たら、自分が今まで一生懸命、何年も掛けて温めてきたものを、後から来た奴が
のうのうと奪い取っていく。あたかも自分が一から作り上げたような顔をして…」
「チャンスを浮かび上がらせるためには、自らの信念を信じ切って、目の前のこ
とをやり抜くのみ」
「そしてそれが7割がた行けると思ったら、覚悟を以てトライする。それが大事」
このへんが、地に足付いた実績のある方と
そうでない方との差ではないかと感じます。
要するにチャンスとは、何もないところから掴み取るのではなく、
すでに繋がっているものを切らさないようにする、
という姿勢が大切なように思います。
そしてそのチャンスの糸は、やるべきことをやるたびに
太く、強くなっていくのだと思います。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
■日本法人会千年経営研究会 こちら>>>
2011年08月26日(金)更新
本当に売れる、ということ
千年続く 会社をめざそう⑱
■本当に売れる、ということ■
よい商品が売れる商品とは限りません。
これはみなさんも実感されているところではないでしょうか。
ではいったい、売れる商品とはどのような商品なのでしょうか?
たまたま「売れちゃった」のも、「売れる」の一部でしょう。
でもそれではここでいう「売れる」というニュアンスとは違っています。
やはり売れるとは、二度目も、三度目も、
当社の商品・サービスを選んで買っていただく、
これこそが本来の「売れる」という感覚に近い。
そう考えると、「売れる」という感覚よりも、
「買っていただける」という感じが近いですね。
「俺はあいつを買ってるんだ」の「買っていただける」・・・
その状態を実現することで売れ続けることができる。
これこそが本当の「売れた」状態であるように思います。
それではそのような商品・サービスとは
どのようなものなのでしょうか?
第一に、「手にした人にマッチしている」
第二に、「期待を超える品質である」
第三に、「今後も品質を維持してくれるという信頼感がある」
いずれも一度は使ってもらわなければわかってもらえないことばかりですね。
ところが中堅・中小企業においては、
この「一度は使ってもらう」ことがなかなかに難しい。
それはなぜでしょうか?
もちろん、会社の規模に対する信頼感の問題もあるのでしょうが、
それよりも大きな要因があると思います。
経験則ですが、中小企業においては
商品説明が機能説明になっているケースが多いように感じます。
「こんな素晴らしい材料を使っている」とか「こんな精密な細工が施されている」とか・・・。
しかし、お客様が求めているものはそこではありません。
「その機能によって私のどんな欲求を満たしてくれるのか」──。
そこがはっきりしなければ、まず手に取っていただけない、そういうことだと思います。
「手にした人にマッチしている」ことを、
手に取る前にわかってもらわなければ手にしてさえももらえない、
そのことをよく理解する必要があると思います。
第二の視点については、私はそれほど心配していません。
中堅・中小企業の商品・サービスの品質は、大変優れていると思っています。
とくにこの日本実業出版社さんの経営者会報ブログを
読まれているような方が作り出される商品・サービスは、
疑う余地がないように思います。
それだけものつくり、サービス改善に真摯に取り組んでおられるからです。
最も大切なのが、第三の視点です。
特に平時であればそれほど心配する必要はありませんが、
世の中、いつも順風満帆とは限りません。
そのまさかの時に、人の本性は現れる。
その時の姿勢が、本当の信頼を得る機会でもあることを
認識しておく必要があるように思います。
そのような特殊なケースでなくとも、会社に対する信頼が、
お買い求めいただき続ける要因であることを忘れてはならないと思います。
さらにいえば、会社に対する信頼とは、経営者に対するそれにほかなりません。
だからこそ私たち経営者は、常に自分自身を律し、磨き、
高め続けなければならないのだと思います。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
■日本法人会千年経営研究会 こちら>>>
■本当に売れる、ということ■
よい商品が売れる商品とは限りません。
これはみなさんも実感されているところではないでしょうか。
ではいったい、売れる商品とはどのような商品なのでしょうか?
たまたま「売れちゃった」のも、「売れる」の一部でしょう。
でもそれではここでいう「売れる」というニュアンスとは違っています。
やはり売れるとは、二度目も、三度目も、
当社の商品・サービスを選んで買っていただく、
これこそが本来の「売れる」という感覚に近い。
そう考えると、「売れる」という感覚よりも、
「買っていただける」という感じが近いですね。
「俺はあいつを買ってるんだ」の「買っていただける」・・・
その状態を実現することで売れ続けることができる。
これこそが本当の「売れた」状態であるように思います。
それではそのような商品・サービスとは
どのようなものなのでしょうか?
第一に、「手にした人にマッチしている」
第二に、「期待を超える品質である」
第三に、「今後も品質を維持してくれるという信頼感がある」
いずれも一度は使ってもらわなければわかってもらえないことばかりですね。
ところが中堅・中小企業においては、
この「一度は使ってもらう」ことがなかなかに難しい。
それはなぜでしょうか?
もちろん、会社の規模に対する信頼感の問題もあるのでしょうが、
それよりも大きな要因があると思います。
経験則ですが、中小企業においては
商品説明が機能説明になっているケースが多いように感じます。
「こんな素晴らしい材料を使っている」とか「こんな精密な細工が施されている」とか・・・。
しかし、お客様が求めているものはそこではありません。
「その機能によって私のどんな欲求を満たしてくれるのか」──。
そこがはっきりしなければ、まず手に取っていただけない、そういうことだと思います。
「手にした人にマッチしている」ことを、
手に取る前にわかってもらわなければ手にしてさえももらえない、
そのことをよく理解する必要があると思います。
第二の視点については、私はそれほど心配していません。
中堅・中小企業の商品・サービスの品質は、大変優れていると思っています。
とくにこの日本実業出版社さんの経営者会報ブログを
読まれているような方が作り出される商品・サービスは、
疑う余地がないように思います。
それだけものつくり、サービス改善に真摯に取り組んでおられるからです。
最も大切なのが、第三の視点です。
特に平時であればそれほど心配する必要はありませんが、
世の中、いつも順風満帆とは限りません。
そのまさかの時に、人の本性は現れる。
その時の姿勢が、本当の信頼を得る機会でもあることを
認識しておく必要があるように思います。
そのような特殊なケースでなくとも、会社に対する信頼が、
お買い求めいただき続ける要因であることを忘れてはならないと思います。
さらにいえば、会社に対する信頼とは、経営者に対するそれにほかなりません。
だからこそ私たち経営者は、常に自分自身を律し、磨き、
高め続けなければならないのだと思います。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
■日本法人会千年経営研究会 こちら>>>
2011年08月12日(金)更新
事実の中に真実を見る、ということ
千年続く 会社をめざそう⑰
■事実の中に真実を見る、ということ■
「目に映る事実が、そのものごとの真実を
現わしているとは限らないんですね。」
ある社員との面談でのこと。
「ついこの前までは、Aさん(彼の前の職場の上司)の
私に対する指導が、いじめにしか思えませんでした。」
と話し始めた彼は、今年の配置転換によって、
入社以来の部署を離れることになりました。
Aさんは非常に厳しい人間で、言うことも実に細かい。
それは社内的にも有名で、中には「あの人の下には行きたくない」と
公然と口にする者がいるほど。
彼はそういう上司の下で3年の歳月を過ごしてきました。
その彼が今年に入って配属された部署は、全く正反対な部署。
よく言えば自主性を重んじた自由な職場。ありていに言えば放任主義。
あまりの違いに、当初は戸惑いを超えて、恐怖さえ感じたとのこと。
頑丈な柵に覆われた窮屈ながらも安全な場所から、
どこに天敵がいるともわからぬサバンナに放り出されたような感覚だったのだとか……。
3か月ほど経って、やっと周りの状況を冷静に見ることができるようになってきたとき、
初めて自分がどれだけ恵まれていたかに気付いたとのこと。
「Aさんの下にいなかったら、僕のようなルーズな人間は
ダメになっていたと思います」
彼からの相談は、彼が新たに見出した
「新旧両方の職場のよい点を活かして、よりよい職場を作りたい」という目標を、
具体的にどのようにかなえていったらよいか、というものでした。
「それは僕にしかできないことですから」と口にする彼の覚悟に
頼もしさを感じました。
いじめにしか思えなかった上司の指導が、自分がその立場にたったとき、
いかにありがたく、いかに稀有なことであったかに気付くことがあります。
実は私自身がそうでした。
残念ながら私自身は、その真実に気付いたときに、
もうその人はおられませんでしたが……。
目の前の事実を好意的に受け止めてみる。特に二十代においては、
そういう姿勢が大切だと思います。
一方で、上司の方も相当の覚悟を以て望まなければなりません。
特に新卒の場合、初めて付く上司の指導が、生涯を通じて標準になるもの。
それだけ責任が重い。
お互いがそのような姿勢で臨んだとき、両者の関係は、
信頼に満ち溢れた、そして相互に切磋琢磨し合える
素晴らしいものになるのだと思います。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
■日本法人会千年経営研究会 こちら>>>
■事実の中に真実を見る、ということ■
「目に映る事実が、そのものごとの真実を
現わしているとは限らないんですね。」
ある社員との面談でのこと。
「ついこの前までは、Aさん(彼の前の職場の上司)の
私に対する指導が、いじめにしか思えませんでした。」
と話し始めた彼は、今年の配置転換によって、
入社以来の部署を離れることになりました。
Aさんは非常に厳しい人間で、言うことも実に細かい。
それは社内的にも有名で、中には「あの人の下には行きたくない」と
公然と口にする者がいるほど。
彼はそういう上司の下で3年の歳月を過ごしてきました。
その彼が今年に入って配属された部署は、全く正反対な部署。
よく言えば自主性を重んじた自由な職場。ありていに言えば放任主義。
あまりの違いに、当初は戸惑いを超えて、恐怖さえ感じたとのこと。
頑丈な柵に覆われた窮屈ながらも安全な場所から、
どこに天敵がいるともわからぬサバンナに放り出されたような感覚だったのだとか……。
3か月ほど経って、やっと周りの状況を冷静に見ることができるようになってきたとき、
初めて自分がどれだけ恵まれていたかに気付いたとのこと。
「Aさんの下にいなかったら、僕のようなルーズな人間は
ダメになっていたと思います」
彼からの相談は、彼が新たに見出した
「新旧両方の職場のよい点を活かして、よりよい職場を作りたい」という目標を、
具体的にどのようにかなえていったらよいか、というものでした。
「それは僕にしかできないことですから」と口にする彼の覚悟に
頼もしさを感じました。
いじめにしか思えなかった上司の指導が、自分がその立場にたったとき、
いかにありがたく、いかに稀有なことであったかに気付くことがあります。
実は私自身がそうでした。
残念ながら私自身は、その真実に気付いたときに、
もうその人はおられませんでしたが……。
目の前の事実を好意的に受け止めてみる。特に二十代においては、
そういう姿勢が大切だと思います。
一方で、上司の方も相当の覚悟を以て望まなければなりません。
特に新卒の場合、初めて付く上司の指導が、生涯を通じて標準になるもの。
それだけ責任が重い。
お互いがそのような姿勢で臨んだとき、両者の関係は、
信頼に満ち溢れた、そして相互に切磋琢磨し合える
素晴らしいものになるのだと思います。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
■日本法人会千年経営研究会 こちら>>>
2011年07月26日(火)更新
徹する、ということ
千年続く 会社をめざそう⑯
■徹する、ということ■
今月から少し業務の内容が変わりまして、
会計事務所様へ訪問する機会が増えてきました。
一口に会計事務所といっても、病医院経営のサポートに強い事務所、
建設業のノウハウに優れた事務所、相続にかかわる提案能力に秀でた事務所、
また徹底的なコストダウンを図り、どこよりも安い顧問料を実現している事務所など、実に多士済々。
それらの先生方とお話をしておりますと、非常に学ぶところが多い。
その中でも一番感じるのは、「これと信じたものに徹する」という姿勢の大切さです。
実際に業界内では何かに特化しようとしている事務所が多いのですが、
成功しておられる事務所はそれほど多くはない。
なかには、一時的には成功したように見えても、結局長続きしない、
という事務所もあるようです。
お客様から長期に亘ってご支持いただいている事務所とそうでない事務所、
同じ方向を目指しているのに、なぜこのような差が生まれるのか。
それは結局、徹することができているか否かにあるように思います。
このことは何も会計事務所のみならず、
どんな業界でも同じであろうと思います。
では、どうしたら徹することができるようになるのでしょうか?
これまでお会いしてきた経営者の方々を思い起こしてみた時、
いくつかの共通点があるように思います。
まず第一に、生い立ちや出会いの中に、それに徹するだけの明確な理由が見出せる、ということです。
その意味において、創業家承継が最も明確な理由であるといえるでしょう。
少なくとも思い付きだったり、「他でうまくいっているから」
といった程度のものではやはりだめなようです。
意外に後付のような場合もあるのですが、それでも徹する段階においては、
徹するだけの、心からの叫びともいえるような理由が明確になっていなければなりません。
第二に、それに徹することが、結果として現経営者のそれまでの人生で
大切だと感じていることの実践につながっている、
要するに徹することそのものがよき人生を送るための実践である、
という状態になっていることです。
こうなりますと、徹することに拍車がかかります。
それは自然とそうなる場合もありますが、自ら見出そうとする姿勢が必要だと思います。
第三に、他を捨てている、ということです。
少なくともある一定レベルに達するまでは、
一事に徹する、そういう姿勢が必要なようです。
いろんな選択肢を持つことは大切ですが、
こうと決めたらそれ以外は捨てる、選ぶのではなく捨てる。
選ぶから迷う、捨てたら徹するしかない。
そういう不退転の心情が、成功の秘訣であるようです。
第四に、次代、次々代にまでつなごうとされている。
「自分の代だけで良い」などと考えられている方は、
どうもどこかで落とし穴があるようです。
気の緩み、「これくらいはいいか」などといった甘えが生じてしまう。
そして自分の代だけのことだからその甘えを止められない。
真に徹することができている経営者は、次代、次々代まで見据えている、そう思います。
第五に、これが一番大切なことかもしれませんが、
それに徹することによって喜ぶ人があることを最高の喜びとしている。
お客様であったり、社員さんやその家族だったり、
仕入先や協力会社の方々であったり、行政や地域住民であったり・・・
自社がそれに徹することによって喜ぶ人たちの顔を最高のご褒美とできる、
そういう方が、徹することができる経営者の特徴であるようです。
いずれにしろ、結局、徹する者が勝つ、そういうことだと思います。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
■日本法人会千年経営研究会 こちら>>>
■徹する、ということ■
今月から少し業務の内容が変わりまして、
会計事務所様へ訪問する機会が増えてきました。
一口に会計事務所といっても、病医院経営のサポートに強い事務所、
建設業のノウハウに優れた事務所、相続にかかわる提案能力に秀でた事務所、
また徹底的なコストダウンを図り、どこよりも安い顧問料を実現している事務所など、実に多士済々。
それらの先生方とお話をしておりますと、非常に学ぶところが多い。
その中でも一番感じるのは、「これと信じたものに徹する」という姿勢の大切さです。
実際に業界内では何かに特化しようとしている事務所が多いのですが、
成功しておられる事務所はそれほど多くはない。
なかには、一時的には成功したように見えても、結局長続きしない、
という事務所もあるようです。
お客様から長期に亘ってご支持いただいている事務所とそうでない事務所、
同じ方向を目指しているのに、なぜこのような差が生まれるのか。
それは結局、徹することができているか否かにあるように思います。
このことは何も会計事務所のみならず、
どんな業界でも同じであろうと思います。
では、どうしたら徹することができるようになるのでしょうか?
これまでお会いしてきた経営者の方々を思い起こしてみた時、
いくつかの共通点があるように思います。
まず第一に、生い立ちや出会いの中に、それに徹するだけの明確な理由が見出せる、ということです。
その意味において、創業家承継が最も明確な理由であるといえるでしょう。
少なくとも思い付きだったり、「他でうまくいっているから」
といった程度のものではやはりだめなようです。
意外に後付のような場合もあるのですが、それでも徹する段階においては、
徹するだけの、心からの叫びともいえるような理由が明確になっていなければなりません。
第二に、それに徹することが、結果として現経営者のそれまでの人生で
大切だと感じていることの実践につながっている、
要するに徹することそのものがよき人生を送るための実践である、
という状態になっていることです。
こうなりますと、徹することに拍車がかかります。
それは自然とそうなる場合もありますが、自ら見出そうとする姿勢が必要だと思います。
第三に、他を捨てている、ということです。
少なくともある一定レベルに達するまでは、
一事に徹する、そういう姿勢が必要なようです。
いろんな選択肢を持つことは大切ですが、
こうと決めたらそれ以外は捨てる、選ぶのではなく捨てる。
選ぶから迷う、捨てたら徹するしかない。
そういう不退転の心情が、成功の秘訣であるようです。
第四に、次代、次々代にまでつなごうとされている。
「自分の代だけで良い」などと考えられている方は、
どうもどこかで落とし穴があるようです。
気の緩み、「これくらいはいいか」などといった甘えが生じてしまう。
そして自分の代だけのことだからその甘えを止められない。
真に徹することができている経営者は、次代、次々代まで見据えている、そう思います。
第五に、これが一番大切なことかもしれませんが、
それに徹することによって喜ぶ人があることを最高の喜びとしている。
お客様であったり、社員さんやその家族だったり、
仕入先や協力会社の方々であったり、行政や地域住民であったり・・・
自社がそれに徹することによって喜ぶ人たちの顔を最高のご褒美とできる、
そういう方が、徹することができる経営者の特徴であるようです。
いずれにしろ、結局、徹する者が勝つ、そういうことだと思います。
■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
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