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2013年07月31日(水)更新

「他責」か「自責」かで人生は変わる、ということ


千年続く 会社をめざそう㊿
■「他責」か「自責」かで人生は変わる、ということ■

 


 
仕事柄、多くの経営者・後継者・経営幹部の方とお話しする機会が多いのですが、
その内容によって、何度もお会いしたくなる方とそうでない方がいらっしゃることは、
皆さんも感じられるところではないでしょうか。
 
いくつかの理由が考えられますが、大きな要因に、
問題に対する姿勢が挙げられるように思います。
 
あまりよい印象が持てない方の共通項は、「他責」にすること。
社会が悪い、政治が悪い、取引先が悪い、社員が悪い、運が悪い──と
何かにつけて人や環境のせいにして、自らの問題に向き合おうとしない。
 
こういう人とお話をしておりますと、
まあ、社会や政治の部分については共感できる点もなくはないのですが、
特に経営に直接関わる対象者に矛先が向かうと、
「でもそういう環境を作っているのはあなたですよね」と
言いたくなってしまいます。
 
他責の人は総じて仕事がうまくいかない、経営がうまくいかない。
しかし他責にするゆえに学べないし、自分のいたらなさに気づけない。
だから、結局何も変えることができない。
 
そういう方とお話をしていると気分が悪くなるだけで学ぶことは少ないですから、
あまりお会いしたくありません。
 
一方で、何度もお会いしたくなるような方の共通項は
「自責」で考えることが身についていらっしゃること。
 
そういう方は、いかなる失敗からも立ち直り、
窮地に陥っても必ずリカバリーされているから、
話の内容も楽しく、また勉強になるものです。
 
そういう方であればその魅力に虜となり、
一方で自らのありように反省もさせられる。
そしてまたお会いしたくなる。
 
要するに、他責にする人は、人に怒りを生じさせ、
自責で考えることができる人は、相手の心を正す。
そういうことだと思います。



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2013年07月19日(金)更新

最高のものにふれる、ということ


千年続く 会社をめざそう㊾
■最高のものにふれる、ということ■


 
 
私は若手の経営者・後継者の方々に、
「時には最高のものにふれてみること」をお勧めしています。
それだけで心が豊かになり、明日への活力になる、と。
 
それはどんな分野のものでもよいと思います。
 
私が必ず年1回は足を運ぶのは、歌舞伎とクラシックのコンサート。
それ以外に、落語や狂言なども、興味の対象。
街に張り出されるポスターなどを見て、心躍るものに出会っただけでも、
幸せな気分になります。
 
お聴きしたところによると、「鎌倉シャツ」で知られる、
メーカーズシャツ鎌倉の創業者・貞末良雄さんは
「経営者はグレートコンシューマたれ」と
おっしゃっているそうです。

自分でお金を使ってちゃんとしたものを食べたり買ったりするから、
ものの価値がわかる、審美眼、審“物”眼、のようなものを養えるとのこと。
 
また、池波正太郎さんもその著書「男の作法」の中で、
若くてカネがないときでも、少し小金を蓄えて、
一月や三月に一度は、しっかりとした店でよい料理を食べろ、
と書いていらっしゃいます。
でないとものの価値がわからない人間になる、
戦前は、カネがなくてもみんなそんなことをしていた、と……。
 
私もお二人の考えに全く同感です。
 
今年に入って、六代目・中村勘九郎さんの襲名披露と、
柳家三三さんの公演に行って参りました。
 
一部の社員を説得して連れて行ったのですが、
いずれも「初めて」という彼らは、その本物の素晴らしさに、
「何かわからないけど、いい……」と感激していました。
私自身「何がいいのか?」と問われても、言葉では説明が付きません。
ただただいいのです。
そしてその本物にふれた時、自分ももっと本物にならなければならないと、
心励まされるのです。
 
そこに理屈はありません。
 
私の尊敬する経営者の方々は、観るもの、聴くもの、食べるもの……。
その対象は様々ですが、一様に最高のものふれる機会を積極的に持っていらっしゃいます。
それは、いわゆる浪費や贅沢とは違います。
 
ぜひ、本物、最高のものにふれる機会を
積極的に持っていただければと思います。


 

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2013年06月25日(火)更新

「好き嫌い」で決める、ということ



千年続く 会社をめざそう㊽
■「好き嫌い」で決める、ということ■

 
 
経営者の立場では、最終判断は自らせざるを得ません。
部門長の立場でも、すべてとは言わないまでも、自ら決めざるを得ない場合があります。
その場合、人に意見を訊くことはできても、決めてもらうことはできない。
否、たとえ決めてもらったとしても、その責任はすべて自らが負わなければなりません。
どうせ最終責任を負うのであれば、やはり自ら意思決定したほうがいいでしょう。
今回は、意見を求められる立場の人間として、その判断基準について考えてみたいと思います。
 
人は意思決定をする際に、概ね三つの観点で判断するものです。
一つは「正しいか、正しくないか」。もう一つが「できるか、できないか」。
そして最後に「好きか、嫌いか」です。
 
最初に結論を申し上げれば、トップとしても最も好ましい意思決定基準は
「好き嫌い」であって良いと思います。
 
どれだけ正しくても、どれだけできることであったとしても、
好きでなければ長続きはしない。

長続きしなければ成果など上げることはできず、
結果からすれば「やらないほうがまし」ということになります。
 
逆に、その判断時点においては周りから否定されようが、
罵られようが、バカにされようが、本当に好きなことをトコトン追求していけば、
いつの間にか新たな価値観が生まれ、正しくなってしまう。
 
また「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったもので、
不可能だと思われたことでも、好きなことなら可能にしてしまう。
「好き」にはそれだけの強烈なパワーが内在しています。
 
しかしながら、「好き嫌い」での判断には、前提条件があります。
 
第一に、夢の実現に繋がっているものであることであり、
第二に、周りに喜びや幸せを与えるものであることです。
この2条件が伴っていない「好き嫌い」は単なる我欲の表れであり、
どこかの製紙会社の御曹司のような大きな過ちを犯すことになります。
 
優良企業の経営者の中に「好き嫌いで判断しても間違うことはない」と
断言される方が多くいらっしゃいますが、
まさしくこの2条件を兼ね備えておられるから間違えることがないのだと思います。
 
一方で、「正しいか、正しくないか」や「できるか、できないか」に固執し過ぎると、
経営に幅がなくなります。中でも「正しさ」は、移ろいゆくもの。
その時点での正誤の判断は、数年後には全く異なる結果となっている場合さえあります。
 
積極的に「好き嫌い」判断基準をお薦めいたします。
ただし、2条件が伴うものであることがあくまでも前提です。



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2013年06月11日(火)更新

育てるために「アウトプットの場を設ける」ということ


千年続く 会社をめざそう㊼
■育てるために「アウトプットの場を設ける」ということ■



今年、私の部門で4名の新入社員を迎えました。
今では別々の部署に配属され、それぞれの指導担当者の下で成長の日々を送っています。
そして私は、4組のペアが真剣に向き合う姿を見ながら、
改めて教育の面白さと難しさを感じています。
 
・最低限のことは教えなければいけないが、教え過ぎてはいけない。
・ある程度の負荷を掛けなければいけないが、掛け過ぎてもいけない。
・厳しく接することも必要だが、厳し過ぎても(厳しいだけでは)いけない。
・かまい過ぎてもいけないが、放置し過ぎてもいけない。
 
要するに「さじ加減」というものが実に面白く難しい。
 
そもそも教育とは、「教える」ことと「育てる」ことの両面があります。
その本質的違いを、私は次のように解説しています。
 
教える=「押し得る」=押して(言って聞かせて)得させる。
育てる=「素立てる」=元々持っているものを立てる(引き出し、伸ばす)。
 
今回の指導担当は全員若手で、中には初めて指導担当となった者も。
そんな彼らに共通するのは「教える」に偏る傾向にあること。
「自分のすべてを伝えたい」そんな熱い思いが、偏りを生じているように思います。
 
そんな彼らに私が言い続けているのが「アウトプットの場を設けよ」ということです。
 
「教えるな」と言っても、「押し得る」ことに燃える彼らにとっては無理な話。
だったらその部分は好きにやらせて、「育てる」ことの大切さを実感してもらうしかない。
「素立てる」ためには引き出す必要がありますから「やらせる」、
すなわち「アウトプットの場を設けよ」という指導になるわけです。
 
さて、この指導に対する反応は三者三様(四者四様?)。これまた実に面白い。
 
直ぐにアウトプットの場を設けてしまえる者と、いつまで経っても動こうとしない者がいる。
この違いをじっくり眺めていると、
そこに「責任」というものに対する向き合い方の違いを発見することができます。
 
アウトプットさせるということは、そこに何らかの成果物を求めるということであり、
特にお客様に対して直接的なアウトプットの場を設けるということは、責任問題が生じます。
 
そのような状況の中、直ぐにアウトプットの場を設けることができる者は、
仮に部下が失敗したとしても、その責任を一身に被ろうという明確な意思と意欲と自信があります。
できない者は、その覚悟がないから与えられない。そういうものだと思います。
 
これはその指導担当の上司としてもかなり勇気のいることです。
指導担当が任せて失敗したことの責任を最終的に追うのは、
「アウトプットの場を設けよ」と指示した私なのですから・・・
 
想定以上の場を設ける者にヒヤヒヤしながら頼もしく思う。
なかなか行動を起こさない者にイライラしながらもできるようになるまで我慢する。
それがトップとしての教育の面白さであり難しさではないかと思います。



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2013年03月06日(水)更新

商いとは壮大な「物語」である、ということ


千年続く 会社をめざそう㊻
■商いとは壮大な「物語」である、ということ■

 
 

私が所属する福岡事務所では、
お客様のサポート業務を担っていただくことを目的として、
現在、中途採用を行っています。
 
先日、ある女性が面接に来られました。

大学卒業後、二社ほど営業職を経験してきたその方に
当社への希望動機をお尋ねしたところ、

「人と関わる仕事をしたいと営業職を選んだが、どうも私には
合わない。お客様から喜んでいただけるサポート業務の方が私
には合っていると思う」

と答えました。
 
この言葉、どこかおかしいと思いませんか?
 
私は次のように切り返しました。
 
「営業はお客様から喜んでいただけない仕事なのですか? あ
なたがお客様から喜んでいただけるような営業をしていなかっ
ただけではないですか?」

 
サポート業務は喜ばれて、営業は喜ばれない。そんなことはあり得ません。
それどころか、サポート業務と営業は、
既存のお客様を対象とするか、新規のお客様を対象とするかが違うだけで、
全く同じ仕事だと思います。
 
「お客様にとって今一番重要な課題は何か」「その課題を解決するための改善策は何か」
「その改善策の実施にあたって当社の商品・サービスでお役に立てるものはないか」
 
新規・既存の違いなく、お客様の課題を知り、一緒になって改善策を考え、
実際に改善に至るまで寄り添いながら課題を解決していく。
その姿勢こそが大切だと思うのです。
 
そもそも商いは物語でなければならないと思います。
それはお客様の課題発生から解決に至る壮大で感動的な大作ドラマ。
 
その物語に共感して下さるお客様が、
自社の社員さんを食べさせていけるだけいて下されば生き残っていくことができる。
それ以上に共感いただければ、成長・発展させていただける。
そして、もっと多くの方に喜んでいただける物語を創れるようになれる。
 
彼女が勤めていた会社にはその物語がなかった、
ないしは彼女にその物語の素晴らしさに気付かせ、
感動させ、熱演させることができなかった。
そういうことだと思います。
 
後日、彼女から次のような文面の手紙が届きました。
 
「これまでにはないご指導をいただき、衝撃を受けたと同時に、
感謝しています。勤め始めてから、いつの間にか主観に偏った考えを持つ
自分自身に気づくことができました」
 
「これまでの販売・営業という仕事の中で、共通して変わらない私の喜び・
やりがいがあります。それは、お客様が喜んでくださることです。お客様が
持つ課題や問題に対して一緒に向かい合い、解決へ運ぶという体験をするこ
とができました。ツールや取り組みは違っても、きっとここに人と関わる仕
事のやりがいを感じているのだと思います」
 
商いの本質に気付いてくれた彼女を、
私は採用したいと思っています。
 


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