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2011年02月08日(火)更新

できるようになるまで繰り返し話をする、ということ

千年続く 会社をめざそう⑤
■できるようになるまで繰り返し話をする、ということ■


よく「おまえは何回言っても分からん奴だなぁ」などと言いますが、みなさんは、“何回”伝えて相手がこちらの思い通り動いてくれなかったら「分からん奴だ」となりますか?

これには検証データがあって、平均すると4回なのだそうです。3回ならば気が短い、2回なら相当短いということになりますね。

さすがに1回という人はいないとは思いますが、以前の私は、“相当気が短い”部類でした。「思った通りに動いてくれない」ことから来るイライラ感に、悶々とした毎日を過ごしていたのです。

そんな頃、ある方から次のようなアドバイスを受けました。

「亀井君、“聴”という文字をよく見てごらん。“耳”と“十四”と“心”でできているだろう。要するに、「耳から十四回入ると心に届く」という意味なんだよ。」

と・・・目(耳?)から鱗のお話でした。

以来、とにかく14回話をしようと心に決めました。そう思って話をしていくと、ほとんどの場合14回まではかからない。経験値で言えば、よくかかって7~8回でしょうか? それでも以前の約4倍ですから、私も相当気が長くなったものだとわれながら感心します(笑)。

私はこの経験から、以前の考え方と照らし合わせ、次のように受け止めています。

「分かって当たり前だと思うから、分からなかったら腹が立っていたんだ。分からなくて当たり前だと思えば、分かってくれたら“ありがとう!”になる。」

いま、私が常に心がけていることは、次のようなことです。

何度も、何度も、同じ話をする。
「もう何度も聞きました」と言われようが、
「わかってます」と言われようが、
「くどい!」と言われようが、
何度も、何度も、同じ話をする。
相手が本当にできるようになるまで・・・

ご参考になれば幸いです。



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2011年02月01日(火)更新

地元に根を下ろす、ということ

千年続く 会社をめざそう④
■地元に根を下ろす、ということ■


先日、ある建設会社の社長さんにお話をうかがいました。その会社はここ数年、毎期最高益を更新し続けておられます。来年創業40年を迎える会社の成長の秘訣をお聞きすると・・・

「うちの会社は、半径500mのお客様を守ることが使命です。一度建てた家は、一生面倒を見させていただく。細かいメンテナンスも喜んでさせていただく。そうやって人が嫌がるような面倒をきちんとみていくと、そのお子様が家を建てるときもまた声をかけていただける。親から子へ、子から孫へと縦に繋がる経営を目指しているんです」

以前お話をうかがった京都の老舗和菓子屋の社長さんも、同じことをおっしゃっていました。

「まずは今目の前のお客様にご満足をいただく。そうするとそのお子様がうちのお菓子を口にされ、またうちのお菓子を買うて下さる。大体お子様は一家に二人くらいはいらっしゃるから、それぞれが世帯を持たれれば二倍。そしてそのお孫さんもうちのお菓子を口にされる。そうしていくと、どんどん縦に広がっていくわけです」

グローバル化が叫ばれる中、実は地元にきちんと根を下ろしている会社が好業績という事実。私たちは今一度、このことに気づかなければならなくなっているように思います。

一方で、商店街活性化に精力的に活動する私のコンサルタント仲間は、次のように言っています。

「これからの時代、消費者も投資家にならなければならない。歳取って動けなくなったとき、近くで買い物ができるよう、少々高くても地元の商店で買い物をする。それが将来への投資となる」

グローバル社会と言われる中、売り手も買い手も、地元の重要性をきちんと考えなければならない時代が来ているように感じます。



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2011年01月12日(水)更新

運がよい、ということ

千年続く 会社をめざそう③
■運がよい、ということ■


成功している人ほど「運がよかっただけ」とおっしゃいます。どんなに成功要因をお聞きしても、最終的には「やっぱり運だよ、そうとしか言いようがない」と・・・。

一方で、そうでない人ほど「俺は運が悪い」とおっしゃる。一体何が違うのでしょうか?

よくよく話をお伺いすると、「運がよかった」という人は、

「十中八九の努力はしたけれども一つ、二つ足りなかった。それでもうまくいった。
だから運がよい」

どうもそういうことのようです。その十中八九をお聞きすると、凄く努力されている。しかしそれを「当たり前だ」「当然のことをしているまで」とおっしゃる。

「当たり前の努力をしているだけで良い結果が出たのだから、運がよいだけ」

なのだと・・・

逆に「運が悪かった」人は、一つ二つの努力しかしてないのに、「あんなにやったのに」とおっしゃる。その「あんなに」の内容を聞くと、「そんなの当たり前でしょ?誰でもやっていることですよ。もうちょっとがんばられたらいかが?」となる。

結局、運のせいにする人は運から見放され、運のお陰といえる人には運が喜んで飛んでくる。もちろん、「おかげさま」と言うだけで何もしない人には幸運は飛んではきませんが・・・

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」(平戸藩第九代藩主 松浦静山)

まさにこの一言が本質をついているように思います。

必ず運は味方になってくれるものです。運が味方してくれるまでやり切りましょう!



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2010年12月27日(月)更新

自分の幸せを人にうつす、ということ

千年続く 会社をめざそう②
■自分の幸せを人にうつす、ということ■


「私は幸せではないけど、部下は幸せにしてやりたいんです。」

これは先日招かれたある会社の忘年会で、一人の管理者の口から出た言葉です。彼自身、以前から上司との関係に大変悩んでいたそうです。

この言葉を聴いて、皆さんはどう思われましたか。「いい管理者ですね」「部下思いの方ですね」などと、多くの方が好意的に受け止められるようですが、私はそうは思いません。全くナンセンスで、的外れで、自分勝手な言葉だと思います。

そもそも、自らが幸せを感じられない人間に人を幸せにすることができるのでしょうか。

想像してみて下さい。上級上司と仲が悪く、何かにつけて不平不満を口にし、愚痴ぼやく直属上司の姿を見て、部下は「この上司だったら、私を幸せにしてくれるに違いない」などと思うでしょうか。あり得ません。まったくナンセンスです。

本当に部下を幸せにしたいのであれば、まず自分自身が幸せになること、その幸せを伝染させて周りを幸せにすること、これが本筋だと思います。不幸のオーラを発する上司と、幸せのオーラを発する上司、どちらが部下を幸せにできるか、それは火を見るより明らかです。自分が不幸せな状態で、他人を幸せにしようなんて、身の程知らずというものです。

今の状況の中に幸せを見つけられない人は、どんなに好条件が揃っていても、幸せを見つけることはできないでしょう。人は満たされないことを常とします。この世の中に、最初から幸せな状態なんてありません。いかなる状況の中であっても幸せを感じることができるかどうか、ここが大切です。

よく考えてみれば、高い評価をしてくれた人がいるからその立場にある。周りの支えがあるから力不足でもその役割を果たすことができる。そして何より幸せにしたいと思える人がいてくれる。これほどの幸せがあるでしょうか。

そのことに幸せを感じられない自分勝手な人に、人を幸せにすることなんてできません。

今の状況の中で幸せを感じることのできる感性──これこそが人を幸せにする原点だと思います。



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2010年12月20日(月)更新

信じ切る、ということ

はじめまして、亀井と申します。
現在『月刊ニュートップリーダー』誌にて『千年続く経営をめざす~事業承継の王道』という連載記事を書かせていただいております。
経営コンサルタントを天職として22年。このブログでは、数多くの優れた経営者の方々から学ばせていただいたことを少しでもお伝えすることができればと思います。
そして皆様の素晴らしい経営と事業承継の実現にお役立ていただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

        *       *      *


千年続く 会社をめざそう①
■信じ切る、ということ■


「信じていたのに裏切られた」と簡単に言う人がいらっしゃいます。そういう人に限って、自分がどれほど信じていたのか、どれほど辛い思いをしたか、どれほど傷ついたのかなどを、涙を流さんばかりに力説されます。そういう人を見ると、本当に可哀想になってきます。裏切られたことではなく、そう捉えることしかできないことに・・・

その人は、本当に信じていたのでしょうか? 本当に信じていたら、一度や二度、自分の思い通りにならなかったといって、「裏切られた」と簡単に口にすることができるのでしょうか?

正直なところ、私は、簡単に「裏切られた」という人の「信じている」は、その言葉を口にすることによって自分の思い通りに動くよう相手に釘を刺す、ないしは「裏切ったら許さない」という脅しに過ぎないように思います(中には、簡単に保証人を引き受けるなど、全く何も考えていなかった、というパターンもあるようですが)。そして「裏切られた」と口にした時点で、「私は元々あなたなんて信じていませんでした」と本心を暴露されているようなものだと思うのです。

そもそも「信じる」とは、「あなたは信じられる人だ」などと人物を評するために使う言葉ではなく、「どんなことがあっても私はあなたを信じる」というように、相手に対する自分の覚悟の宣誓でなければなりません。そして本物の「信じる」とは、どんなことがあっても疑わないこと、即ち「信じ切る」ことであると思います。

「信じ切る」から裏切られることがない。「私はあなたを信じている」という言霊が、相手の「裏切ってはいけない」、もっと積極的に「期待に応えたい」という気持ちを生み出すものだからです。

でも人間は弱いもの。そう思っていても、できないこともある。意に反することもある。そのとき「やっぱり駄目だったか」なんて言ってしまったらおしまい。そのときにこそ「それでもあなたを信じてる」と声を掛ける心根こそ、「信じ切る」ことだと思います。


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