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2012年02月22日(水)更新

10年後を考える、ということ

千年続く 会社をめざそう㉙
■10年後を考える、ということ■


 
3月を目前にして、今、私は10年という年月の重みを感じています。
 
10年前の3月、私は36歳で役員にしていただきました。
この間、役員としていかほどの役割を担えたかは、
私自身が判断すべきことではないとは思いますが、
少なくとも役員として過ごしたこの10年の歳月は、
私自身を成長させてくれたことに間違いありません。
 
また、その人事のあった日は、私にとって
家業を継ぐという道を完全に断ち切った時でもありました。

その申し訳なさ、せめてもの罪滅ぼしとの気持ちが、
事業承継を生涯の仕事にしようと決めた要因の一つであることもまた、間違いありません。
 
さてその10年前、私は個人的な明確な目標を持つことをやめました。
 
出典は失念しましたが、以前、書物で目にした分類で、
人間の生き方には「目標達成型」と「天命追求型」があるとのこと。
自分で定めた目標を追求していくタイプと、今の今自分の置かれた環境で
ベストを尽くすタイプ、という違いなのだそうです。
 
後者の代表選手は豊臣秀吉なのだとか。
確かに彼が信長に仕え始めた時点で天下取りなどは夢にも思わなかったのでしょう。
しかし彼は確かに手に入れた。
信長の信を得るという天命を追求した結果だ、
と言われれば確かにそうだというほかありません。
 
私は役員を拝命するとき、そこまで大袈裟に考えていたわけではないのですが、
概ね「天命追求型」的な生き方をしようと決めた、
そんな気持であったように思います。

少なくとも「一部門長の立場から離れ、全社員の公僕たろう」と
思いを定めていました。それが役員たるものだと思っていたからです。
 
以来、総務・人事、支店開設、ファイナンシャルプランナー、M&Aなど、
請われるままにいろいろな部署を体験させていただきました。
どちらかといえば「目標達成型」であった私としては、
180度異なる生き方を自ら選択しました。

そしてその選択は今、とても正しかったと確信しています。
 
そんな私ですが、後継者には「目標達成型であれ」と説きます。
「どんなに周りが否定しようとも、10年後のあるべき姿を示せるのが経営者だ」と……。
 
それはなぜか。
 
私は経営者たるもの、「目標達成型」と「天命追求型」の両方を
兼ね備えていなければならない、と思っています。

そして若い頃、とことん「目標達成型」をやった経営者ほど、
それと等しく「天命追求型」を極めることができる、そう思うのです。
 
豊臣秀吉も、徹底して「目標達成型」を貫いてきたからこそ、
天命を預けることができる人に出会えた、と私には思えてなりません。
 
いずれにしろ、若い頃は徹底して「目標達成型」であることが
肝要であると思います。

そして最低10年は一つの目標に向けて、ひたむきにひた走る、
そういう経験が必要なのだと思います。
 
そして、そういう経営者は、
縁あって出会った社員の10年後を慮って言動することもできるように思います。
 
吉田松陰の言葉に、
 
「小過を以て人を棄てては大才は決して得べからず」
 
というものがありますが、10年後の成長した姿を夢見て、
目先の小さな過ちを笑って許せる、
そういう懐の深さを感じる経営者になれる、と感じるのです。
 
「十年一昔」とはよくいったもので、10年単位で物事を考えることは、
とても大切なことだと思います。




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