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信じ切る、ということ

投稿日時:2010/12/20(月) 14:03rss

はじめまして、亀井と申します。
現在『月刊ニュートップリーダー』誌にて『千年続く経営をめざす~事業承継の王道』という連載記事を書かせていただいております。
経営コンサルタントを天職として22年。このブログでは、数多くの優れた経営者の方々から学ばせていただいたことを少しでもお伝えすることができればと思います。
そして皆様の素晴らしい経営と事業承継の実現にお役立ていただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

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千年続く 会社をめざそう①
■信じ切る、ということ■


「信じていたのに裏切られた」と簡単に言う人がいらっしゃいます。そういう人に限って、自分がどれほど信じていたのか、どれほど辛い思いをしたか、どれほど傷ついたのかなどを、涙を流さんばかりに力説されます。そういう人を見ると、本当に可哀想になってきます。裏切られたことではなく、そう捉えることしかできないことに・・・

その人は、本当に信じていたのでしょうか? 本当に信じていたら、一度や二度、自分の思い通りにならなかったといって、「裏切られた」と簡単に口にすることができるのでしょうか?

正直なところ、私は、簡単に「裏切られた」という人の「信じている」は、その言葉を口にすることによって自分の思い通りに動くよう相手に釘を刺す、ないしは「裏切ったら許さない」という脅しに過ぎないように思います(中には、簡単に保証人を引き受けるなど、全く何も考えていなかった、というパターンもあるようですが)。そして「裏切られた」と口にした時点で、「私は元々あなたなんて信じていませんでした」と本心を暴露されているようなものだと思うのです。

そもそも「信じる」とは、「あなたは信じられる人だ」などと人物を評するために使う言葉ではなく、「どんなことがあっても私はあなたを信じる」というように、相手に対する自分の覚悟の宣誓でなければなりません。そして本物の「信じる」とは、どんなことがあっても疑わないこと、即ち「信じ切る」ことであると思います。

「信じ切る」から裏切られることがない。「私はあなたを信じている」という言霊が、相手の「裏切ってはいけない」、もっと積極的に「期待に応えたい」という気持ちを生み出すものだからです。

でも人間は弱いもの。そう思っていても、できないこともある。意に反することもある。そのとき「やっぱり駄目だったか」なんて言ってしまったらおしまい。そのときにこそ「それでもあなたを信じてる」と声を掛ける心根こそ、「信じ切る」ことだと思います。


■名南コンサルティングネットワーク こちら>>>
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ボードメンバープロフィール

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かめい ひでたか

1965年岐阜県生まれ。89年名南コンサルティングネットワーク入社。2001年より取締役。後継者育成や経営計画立案を得意分野とする。愛知近県の後継者を対象にした勉強会を各地で主宰するなど、「事業承継」をライフワークにしている。月刊ニュートップリーダー(L.)連載『事業承継の王道』など、執筆・講演活動も精力的に行なう。

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