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2010年12月27日(月)更新

自分の幸せを人にうつす、ということ

千年続く 会社をめざそう②
■自分の幸せを人にうつす、ということ■


「私は幸せではないけど、部下は幸せにしてやりたいんです。」

これは先日招かれたある会社の忘年会で、一人の管理者の口から出た言葉です。彼自身、以前から上司との関係に大変悩んでいたそうです。

この言葉を聴いて、皆さんはどう思われましたか。「いい管理者ですね」「部下思いの方ですね」などと、多くの方が好意的に受け止められるようですが、私はそうは思いません。全くナンセンスで、的外れで、自分勝手な言葉だと思います。

そもそも、自らが幸せを感じられない人間に人を幸せにすることができるのでしょうか。

想像してみて下さい。上級上司と仲が悪く、何かにつけて不平不満を口にし、愚痴ぼやく直属上司の姿を見て、部下は「この上司だったら、私を幸せにしてくれるに違いない」などと思うでしょうか。あり得ません。まったくナンセンスです。

本当に部下を幸せにしたいのであれば、まず自分自身が幸せになること、その幸せを伝染させて周りを幸せにすること、これが本筋だと思います。不幸のオーラを発する上司と、幸せのオーラを発する上司、どちらが部下を幸せにできるか、それは火を見るより明らかです。自分が不幸せな状態で、他人を幸せにしようなんて、身の程知らずというものです。

今の状況の中に幸せを見つけられない人は、どんなに好条件が揃っていても、幸せを見つけることはできないでしょう。人は満たされないことを常とします。この世の中に、最初から幸せな状態なんてありません。いかなる状況の中であっても幸せを感じることができるかどうか、ここが大切です。

よく考えてみれば、高い評価をしてくれた人がいるからその立場にある。周りの支えがあるから力不足でもその役割を果たすことができる。そして何より幸せにしたいと思える人がいてくれる。これほどの幸せがあるでしょうか。

そのことに幸せを感じられない自分勝手な人に、人を幸せにすることなんてできません。

今の状況の中で幸せを感じることのできる感性──これこそが人を幸せにする原点だと思います。



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2010年12月20日(月)更新

信じ切る、ということ

はじめまして、亀井と申します。
現在『月刊ニュートップリーダー』誌にて『千年続く経営をめざす~事業承継の王道』という連載記事を書かせていただいております。
経営コンサルタントを天職として22年。このブログでは、数多くの優れた経営者の方々から学ばせていただいたことを少しでもお伝えすることができればと思います。
そして皆様の素晴らしい経営と事業承継の実現にお役立ていただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

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千年続く 会社をめざそう①
■信じ切る、ということ■


「信じていたのに裏切られた」と簡単に言う人がいらっしゃいます。そういう人に限って、自分がどれほど信じていたのか、どれほど辛い思いをしたか、どれほど傷ついたのかなどを、涙を流さんばかりに力説されます。そういう人を見ると、本当に可哀想になってきます。裏切られたことではなく、そう捉えることしかできないことに・・・

その人は、本当に信じていたのでしょうか? 本当に信じていたら、一度や二度、自分の思い通りにならなかったといって、「裏切られた」と簡単に口にすることができるのでしょうか?

正直なところ、私は、簡単に「裏切られた」という人の「信じている」は、その言葉を口にすることによって自分の思い通りに動くよう相手に釘を刺す、ないしは「裏切ったら許さない」という脅しに過ぎないように思います(中には、簡単に保証人を引き受けるなど、全く何も考えていなかった、というパターンもあるようですが)。そして「裏切られた」と口にした時点で、「私は元々あなたなんて信じていませんでした」と本心を暴露されているようなものだと思うのです。

そもそも「信じる」とは、「あなたは信じられる人だ」などと人物を評するために使う言葉ではなく、「どんなことがあっても私はあなたを信じる」というように、相手に対する自分の覚悟の宣誓でなければなりません。そして本物の「信じる」とは、どんなことがあっても疑わないこと、即ち「信じ切る」ことであると思います。

「信じ切る」から裏切られることがない。「私はあなたを信じている」という言霊が、相手の「裏切ってはいけない」、もっと積極的に「期待に応えたい」という気持ちを生み出すものだからです。

でも人間は弱いもの。そう思っていても、できないこともある。意に反することもある。そのとき「やっぱり駄目だったか」なんて言ってしまったらおしまい。そのときにこそ「それでもあなたを信じてる」と声を掛ける心根こそ、「信じ切る」ことだと思います。


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