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2013年10月29日(火)更新

本当の「倍返し」ということ


千年続く 会社をめざそう 52
■本当の「倍返し」ということ■

 
 
大人気ドラマとなった『半沢直樹』。全体的には好印象を持って見させていただいていたのですが、最終回については、役員会での土下座や、出向命令時の半沢の頭取に対する目つきなど、すっきりしないものを抱えたままの終焉に残念な思いが残りました。皆さんはいかがだったでしょうか。
 
さて、今年の流行語大賞にもなろうかという半沢の決め台詞「倍返し」ですが、最初に耳にした時は、少々違和感がありました。本来は「仕返し」的に使う言葉ではなかったように思えたからです。実際に辞書を引いてみても、「贈られたものや受領したものに対して、倍額に相当する金品を相手に返すこと」(大辞泉)とあります。
 
もしこのドラマを通じて、倍返しの本当の意味が間違って伝わってしまっているのであれば、少し悲しい気持ちになります。
 
そもそも「仕返し」という行為は、仇討が厳しく制限されていたことを鑑みても、この日本では恥ずかしい、誤った行いという認識があったように思います。受けた恨みは水に流し、受けた恩は倍返し。これこそが二千年を超える歴史をもつこの国が、幸せな社会を実現するために、その経験を通じて学び、伝承してきたことだと思うのです。
 
「仕返しからは憎しみしか生まれない」。このことは、今も世界各国で繰り広げられ、いつ終わるとも知れない戦争やテロなどからも、火を見るより明らかです。
 
一方で、友人や真っ当な人間に対する半沢の態度には、いま日本人が忘れかけている「相手の立場・事情・気持ちになって思いやる」「罪を問わず、咎めず、許し切る」、“恕”の心に溢れていました。
 
正直なところ、この“恕”という軸でこれまでの自分の態度・姿勢を見詰め直したとき、反省すべきところが多く、赤面の思いに駆られることが何度もありました。今一度その時の反省を思い起こし、これからの人生に活かしていきたいと思います。
 
相手の心に自分の思いをお遣いに出して、その方に本当に必要なものを知り抜き、自分のできる精一杯を尽くし、心から喜んでいただく。そしていただいた恩に対しては倍返し。そんな人生を歩んでいくことが出来たら、これ以上の幸せはないように思います。
 
倍返しといっても、何も金品である必要はありません。“無財の七施”という教えもある通り、お金を掛けずともできる恩返しはあります。
 
ある社長は、何かあると直ぐにお礼状を下さいます。
もちろん直筆で、なおかつ「いつ書かれたのだろう?」と不思議に思うほど早いのです。その形式的でない心の籠ったお言葉と、例えばお伺いさせていただいたことへのお礼であれば、私の退室後、直ぐに書かれたのであろう到着スピードの速さは私の想像をはるかに超え、十倍返しほどの感動をいただきます。
 
ご自身でできる「倍返し」のスタイルを模索することも、また楽しいものだと思います。


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