名南経営 コンサルタント 亀井英孝の 千年続く 会社をめざそう | 経営者会報 (社長ブログ)
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意思決定する、ということ
千年続く 会社をめざそう㊲
■意思決定する、ということ■
経営者の役割が「組織が必要とする役割によって変化する」ことは、
前回お伝えしました。
しかし変わらぬ役割もあります。
というよりも、いろんなものを削ぎ落とし、削ぎ落として、
最後に残る唯一無二の役割は「意思決定」することにあります。
これ以外にはないと言っても過言ではありません。
ところがときとして、経営者の口から
「決められない」という言葉をお聞きします。
その心情は、一人の人間としてとてもよくわかるのですが、
こと経営者となれば、それは役割放棄であり、経営者失格と言わざるを得ません。
なぜ「決められない」のか、
「決められない経営者」の口から出てくるその理由は様々です。
しかし真の理由は、そこにはないような気がします。
決められないのではなく、決めようとしていない。
いや、もっと積極的に、決めないという意思決定をしている、
そう思えてなりません。
今、濁流の中に我が子が流されているとする。
そんな状況の中で「決められない」ことなどあるでしょうか。
何も考えず、上着を脱ぐことさえ気づく間もなく飛び込み、助けようとする。
少々極端な例えかもしれませんが、
厳しい経営環境の中での意思決定とは、
本来そのようなものではないかと思うのです。
確かに「決める」ことは一定の辛さを伴います。
自分の決めたことです、もし失敗するようなことがあれば責任を取らなければなりません。
また実行にあたっても自ら率先して動かなければなりません。
人が決めたことであればその人のせいにすることもできるでしょうが、
自分の決めたことは誰も責められない。
でも、その責を負うことそのものが経営者の役割だと思います。
だからこそ、成功の暁にはそれに倍する喜びも得られる。
とにかく決めること、実践することが大切。
間違ったら正せばよい。
その失敗から得られることもまた多いもの。人は失敗からしか学べません。
経営者として一番問題なのは意思決定しないこと。
「決められない」のではなく、
積極的に「決めようとしていない」ことに気づかなければ前には進めない。
決められない経営者の方には、
まずこの認識が必要だと思います。
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