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育てるために「アウトプットの場を設ける」ということ

投稿日時:2013/06/11(火) 19:42rss


千年続く 会社をめざそう㊼
■育てるために「アウトプットの場を設ける」ということ■



今年、私の部門で4名の新入社員を迎えました。
今では別々の部署に配属され、それぞれの指導担当者の下で成長の日々を送っています。
そして私は、4組のペアが真剣に向き合う姿を見ながら、
改めて教育の面白さと難しさを感じています。
 
・最低限のことは教えなければいけないが、教え過ぎてはいけない。
・ある程度の負荷を掛けなければいけないが、掛け過ぎてもいけない。
・厳しく接することも必要だが、厳し過ぎても(厳しいだけでは)いけない。
・かまい過ぎてもいけないが、放置し過ぎてもいけない。
 
要するに「さじ加減」というものが実に面白く難しい。
 
そもそも教育とは、「教える」ことと「育てる」ことの両面があります。
その本質的違いを、私は次のように解説しています。
 
教える=「押し得る」=押して(言って聞かせて)得させる。
育てる=「素立てる」=元々持っているものを立てる(引き出し、伸ばす)。
 
今回の指導担当は全員若手で、中には初めて指導担当となった者も。
そんな彼らに共通するのは「教える」に偏る傾向にあること。
「自分のすべてを伝えたい」そんな熱い思いが、偏りを生じているように思います。
 
そんな彼らに私が言い続けているのが「アウトプットの場を設けよ」ということです。
 
「教えるな」と言っても、「押し得る」ことに燃える彼らにとっては無理な話。
だったらその部分は好きにやらせて、「育てる」ことの大切さを実感してもらうしかない。
「素立てる」ためには引き出す必要がありますから「やらせる」、
すなわち「アウトプットの場を設けよ」という指導になるわけです。
 
さて、この指導に対する反応は三者三様(四者四様?)。これまた実に面白い。
 
直ぐにアウトプットの場を設けてしまえる者と、いつまで経っても動こうとしない者がいる。
この違いをじっくり眺めていると、
そこに「責任」というものに対する向き合い方の違いを発見することができます。
 
アウトプットさせるということは、そこに何らかの成果物を求めるということであり、
特にお客様に対して直接的なアウトプットの場を設けるということは、責任問題が生じます。
 
そのような状況の中、直ぐにアウトプットの場を設けることができる者は、
仮に部下が失敗したとしても、その責任を一身に被ろうという明確な意思と意欲と自信があります。
できない者は、その覚悟がないから与えられない。そういうものだと思います。
 
これはその指導担当の上司としてもかなり勇気のいることです。
指導担当が任せて失敗したことの責任を最終的に追うのは、
「アウトプットの場を設けよ」と指示した私なのですから・・・
 
想定以上の場を設ける者にヒヤヒヤしながら頼もしく思う。
なかなか行動を起こさない者にイライラしながらもできるようになるまで我慢する。
それがトップとしての教育の面白さであり難しさではないかと思います。



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ボードメンバープロフィール

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かめい ひでたか

1965年岐阜県生まれ。89年名南コンサルティングネットワーク入社。2001年より取締役。後継者育成や経営計画立案を得意分野とする。愛知近県の後継者を対象にした勉強会を各地で主宰するなど、「事業承継」をライフワークにしている。月刊ニュートップリーダー(L.)連載『事業承継の王道』など、執筆・講演活動も精力的に行なう。

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