名南経営 コンサルタント 亀井英孝の 千年続く 会社をめざそう | 経営者会報 (社長ブログ)
企業永続のためのヒントを、実例をもとにした考察で導きだします
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千年続く 会社をめざそう㊺
■部下指導は「できる」から始まる、ということ■
指導というものは、本当に難しいものです。
一番の難しさは、指導する側が必要だと思っていても、
指導される当の本人がその時点ではその必要性を感じていない、
というところにあるのではないかと思います。
先日も、20年前に直属の部下だった者と久しぶりに飲む機会があり、
酔いも手伝ってか、彼が次のようなことを話してくれました。
「今だから言えますけど、正直、僕は亀井さんのことが大っ嫌いだった。
亀井さんの言うことはいちいち納得できないし、反発しても正論で言い
返されるから何も言えなくなっちゃうし、言われた通りやってもなかな
か成果は出ないし・・・」
一緒にいた今の部下が目を白黒させながら聴いているのをよそ眼に、
その頃どれだけ嫌な思いをしていたかを延々と続けます。
しかし最後に、
「でも、あのときの指導があったから今の自分があると、これは自信を
持って言えます。本当に感謝しているんですよ。今だから言えますけど
・・・」
ちょっと嬉しかったです。ただ、「もう一回“あの頃の”亀井さんの部下になれと言われたら、
きっぱりと断りますけどね(笑)」の一言は要りませんでしたが・・・。
20年以上の歳月が経っていますが、
部下に対する姿勢はそれほど変わってはいないようです。
ただ、以前から比べれば、相手が気持ちよく理解し、納得し、
喜んで動いてくれるような工夫はするようになっているようです。
彼が“あの頃”を強調した理由は、
以前の私にはその工夫が全くなかったからだそうですから。
相手が「必要ない」と思っていても、
自分が「この人には必要だ」と思うのならば、
焦らず、じっくりと、相手がその必要性に気付くまで、
穏やかに伝え続ける。
部下指導においては、このような姿勢が大切なのだと思います。
そしてその相手への思い遣りが本物ならば、必ず届くのだと・・・
「こっちがそういう気持ちで接したって、伝わらない奴には伝わらない」と
達観されている方とよく出会います。
正直申し上げれば、それは逃げであり、
人の上に立つ者としての責任放棄であると思います。
「ダメだ」から始まるからダメになる。
「できる」から始めれば、必ずできるようになる。
そういう基本的認識が必要なのだと思うのです。
世界の人口70億人の中で私が出会える人はほんのごく僅か。
その僅かな人たちの中の一人が今、誰でもない、私という上司の前に立っている。
そのことに思い至れば、我が子と思い、我が弟・妹と思い、
本当に幸せな人生を送って欲しいと心から願って指導することができるようになる。
そして、本当に我が子と思い、我が弟・妹と思うことができるようになれば、
できるようになるまで我慢強く付き合っていくことができるようになる。
そういうことだと思います。
自分の目に映る相手の問題ということよりも、
「自分は今、どのタイプになっているのか?」を
相手という鏡に映った自分に問い掛けてみることが大切なのだと思います。
自戒を込めて・・・
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■約束を守る、ということ■
「やるだけやってみます」
この言葉を聞いて、皆さんはどうお感じになりますか。
「困難なことでも何とかしようとする前向きな気持ちを感じる」方もいらっしゃるでしょうし、
「うまくいかなかったときの逃げ場を作っているだけだ」と
捉えられた方もいるのではないかと思います。
同じ言葉なのに、これだけ正反対の捉え方をされてしまう。
何だか面白いですね。
なぜこれほどのギャップが生じるのか?
私は「この言葉を口にしている人が誰かによって感じ方が変わる」ように思います。
前者の感じ方ができる相手は、約束を守る人、ないしは、
その約束を守るための努力と時間を惜しまないだろうと確信できる人。
逆に後者のように感じてしまうのは、約束を守らない人。いかがでしょうか?
以前、同じようなお話をした時、
「そんなんだったら、約束なんてしないほうがましだ!」と
真顔で答えた方がいらっしゃいました(苦笑)。
これは本末転倒ですね。
私は「約束は成長への片道切符」だと思います。
約束することはとても苦しい。約束しないですむならそのほうが楽。
でも、きちんと約束をし、その約束を果たした先には、
それ以前の自分とは比べ物にならないほど別人の成長した自分がいる。
その上、人からの信頼も自然についてくる。
要するに、約束をする・しないは“成長”に、
約束を守る・守らないは“信頼”に影響を及ぼす。
表にまとめると、こんな感じでしょうか?
「約束もしていないのに守る、守らないというのはおかしい」と
お感じになる方もいらっしゃると思いますが、
“約束”を“期待”と置き換えていただければ、
その意味はわかっていただけると思います。
ここも一つのポイントですが、約束はしていないけれども
人から期待されていることを認識している場合、
それは約束しているのと同じことだと思います。
ただ自ら覚悟をもって約束するか、
結果として約束したと同じことになるかでは、全くもって、雲泥の差ですが……。
いずれにしろ、約束することができる人は伸び、
約束を果たす人には自信と信頼が集まり、
約束をしない人は堕落する、そういうことだと思います。
一方で「人は鏡」だと言います。
また一番守らなければならないのは「自分との約束」だとも……。
自分の目に映る相手の問題ということよりも、
「自分は今、どのタイプになっているのか?」
と、相手という鏡に映った自分に問い掛けてみることが大切なのだと思います。
自戒を込めて・・・
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■肚を括ることのできる採用をする、ということ■
前回に引き続き、私の採用責任者時代の失敗から学んだことを
お伝えしたいと思います。
採用活動を始めた最初の2~3年、何とも納得できない現象がありました。
それは、
「内定を出した途端に豹変する」
ということ。
内定をもらうまでは明るく、元気で、素直で、
二言目には「何でもやります!」。
その魅力に惹かれて内定を出すのですが、内定を出したとたん、
暗く、元気なく、自分のことしか考えず、
「○○は本当にやらなければならないのですか?」となってしまう。
当時は何人かに一人はこのような“豹変”する子がいました。
最初は「騙された」と、その内定者のせいにしていたのですが、
そのうちに、自分の面接方法に原因があるのではないかと考えるようになりました。
「私は○○をやっていて、そこで□□という成果を挙げることができました」
面接中、こんな話がよく出てきます。
それに対して当時の私は、
「それは凄いね。そういうことができるなら、
当社でやっている△△で力を発揮してもらえそうだね」
などと、その言葉を鵜呑みにし、一人悦に浸っていました。
それほど厳しいものではなかったのですが、
採用担当者としてのノルマもありましたので、
「これで一人確定!」という気持ちがあったことは否定できませんし、
応募者から「いい人と思われたい」という気持ちが
なかったとも言い切れません。
しかし実際には、
・「(自ら)やっていた」のではなく「(嫌々)やらされていた」
・「成果を挙げた」のは自分の力量や思いによるものではなく、他力によるものだった
などといった場合がある。
豹変する子の多くはそういうタイプで、
嘘とまでは言わないまでも、自力でないものを自力とし、
それが内定の理由になっていることを自覚する彼らは、
等しく内定後に“豹変”するのです。
このことに気づいてから、私は
「面接では“性悪説”。採用したら“性善説”」を心掛けています。
内定を出す前は両目を開けて長所も短所もじっくり見極める。
想像や思い込みではなく、確実に事実で裏を取る。
人は嘘をつくつもりではなくとも、
結果としてそれに等しいことをしてしまうことがある。
でも事実は裏切らない。
「なぜそうしようと思ったの?」「障害が生じた時あなたは何をしたの?」
「どうしてその苦難を乗り越えることができたの?」とどんどん詰める。
本当に“自力”によるものであればスラスラと答えられる。
少しでも事実ではなければ答えは詰まる、窮する、しどろもどろになる。
このように“性悪説”に立った問答をすることで
応募者の“素”の姿が顕かになり、
結果としてお互いの「ミスマッチ」は解消される、
そういうものだと思います。
また短所にも徹底的にスポットを当てる。
その子の長所・短所を十二分に知り尽くしたうえで、
「私はこの短所を認め許すことができるか、
ないしは責任を持って改めさせることができるか」で、
内定を出すか出さないかを判断する。
そういう姿勢が大切であることを学びました。
そしてこのような意思決定をしたとき、
彼・彼女をわが子のように育てていくことの
肚括りができるものだと思っています。
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■責任をもって育てる、ということ■
現在当社では、コンサルティング部門を中心に中途採用を実施しています。
私は平成14年から昨春まで人事・総務の責任者として採用に直接関わってきましたが、
現場の責任者に戻った今、改めてその難しさを痛感しています。
総務時代は数多くの失敗をしてきました。
またその失敗を通じて多くのことを学ばせてもいただきました。
その中から、いくつかご紹介させていただきたいと思います。
今でも悔やんでいる最大の失敗があります。
当社では新卒採用の際、①筆記、②グループディスカッション(以下GD)、
③マネージャー(課長クラス)面接、④配属予定部署の役員面接、
⑤社長(最終)面接というステップを踏みます。
第二次選考のGDでその失敗は起こりました。
このGDでは、120名ほどの一次選考通過者を1回あたり30名ほどのグループに分け、
さらにグループごとに5~6チームに分けて一つのテーマでディスカッションを行い、
その時の発言や立居振舞い・担った役割などを
毎回10名ほどのマネージャーが審査員となって見分し、
その結果で通過者を選定します。
当時の私は「多数決制」を採用していました。
すなわちマネージャー推薦の数の多さをもって、
二次選考通過者を決定していたのです。
2年目のことです。
あるマネージャーが「できれば残して欲しい」という学生がいました。
しかしその他のマネージャーからの推薦はありませんでした。
私は原則に従って、その子に不採用通知を送りました。
しかし、どこかで引っ掛かりがあった。そんな時、その子から電話が入って来たのです。
「もう一度チャンスをください」と。
私は「残して欲しい」と言ったマネージャーに連絡を入れました。
彼は大いに喜び、「ぜひ面接させてほしい」と懇願しました。
その後、役員面接、社長面接と進んで、結果は「採用」。
モヤモヤ感を感じながらも、
少しホッとしたというのがその時の素直な気持ちでした。
しかし、それだけではすみませんでした。
その年の忘年会の、内定者も交えた二次会の席で、
その子が他の内定者に「本当は二次選考で落ちていた。一度捨てられた子」と
話しているのを耳にし、自分が犯した罪の大きさに愕然としました。
その子が今ではその部門のNO2の立場を担っていることを考えると、
なおさら心に刺さった棘が痛みます。
「不要な負い目を背負わせてしまった」と。
翌年の二次選考では、審査方法を「スター誕生方式」に変えました。
年配の方であればご存じだと思いますが、
歌手志望の子がステージで歌い、それを見聞きし、
その子を育てたいと思ったプロダクションの代表者が
プラカードを挙げてその意思表示をする、という
古いテレビ番組と同じ方法を採ったのです。
具体的には、GD終了後、審査員となったマネージャーに
次のように質問します。
「あなたが責任を持って育てたいと思う人に手を挙げてください」と。
この方式に変えて、一つ面白い現象が起こりました。
10名の審査員の殆どが「○」を付けているのに、
「育てたい」人には誰も手を挙げない、ということが結構多く見受けられたのです。
「良い子」と「育てたい子」は、どうも違うようです。
「責任を持って人を採用する」姿勢は、
永続企業が等しく持つ一面ではないかと思います。
もう一つ、ご紹介したい失敗がありますが、
これは次回に譲りたいと思います。
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■お客様に寄り添う、ということ■
先日、営業成績が伸び悩むA君から電話があり、
「どうしたら売れるようになるのでしょうか?」との
質問を受けました。
「売ろうとしていたら売れないよ。得る(うる)のはお客様で、
こちらは買ってもらうの」
「はぁ~」と不満とも不安ともつかない声のあと、
「どうしたら買ってもらえるか、教えてください」というA君に、
私は次のような話をしました。
「恋人がいるとするだろ。その恋人が、思い悩んでいる。そんな
時、どうする? いきなり『こうしたらどう?』なんて言わない
だろ。だって何に悩んでいるか、わからないんだから。だからま
ずは話を聴くよね?『どうしたの?』って」
「そうすると、少しずつ話をし始める。でもたいてい本人も頭の
中が整理されているわけではないから、脈略のない話がいろいろ
出てくる。そんな状態では、こちらもよくわからないから、『そ
れはどういうこと?』『なぜそうなったの?』『本当はどうした
いの?』って、いろんな角度から聴いていくよね。そうすると、
彼女も頭の中がだんだん整理されてくる」
「元々、悩んでいるのは彼女。だから答えはこちらにはなくって、
彼女の中にある。こちらができるのは、彼女の中にある答えを引
き出してあげることだけ。そしてそれを引き出すためには、よい
質問をすること」
「じゃあ、よい質問をするためには、どうしたらよいと思う?
そう、本当に彼女のためを思って、彼女の悩みを解決してあげた
いと心から願って、自分のできる最大限のことをしてあげたいと
念願したら、勝手によい質問ができるものさ」
「そうこうしているうちに、彼女の悩みの原因がはっきりしてく
る。原因さえはっきりすれば、自分がしてあげられることもはっ
きりする。もし今の自分では解決してあげられないのであれば、
どうしたら力になってあげられるかを考え、実践すればよい」
「彼女をお客様に置き換えて、そういう気持ちでお客様に寄り添
っていく。そういう姿勢が大切じゃないかな?」
……と伝える私に、A君は今一つ煮え切らない声でしたが、
「わかりました」と言って電話を切りました。
その声のトーンに、
〈もしかしかしたら、愚痴を聞いて欲しかっただけかもしれない〉と、
A君の本音に寄り添えなかったのかもしれない自分を、
少し反省しました。
いずれにしても、お客様であっても、社員さんであっても、
お客様を親・兄弟や恋人・伴侶、我が子のように寄り添えば、
本人が気づいていなくても、今何が必要かが自ずと見えてくる。
そして、そのとき自分ができる最大限のことをやらせていただく──。
そこに真の信頼関係が生まれるものだと思います。
数日後、「今恋人はいないので、妹だったらと思って接してみました」と
嬉しそうに受注報告をしてくれたA君。
私の反省をよそに、自ら「得る」ことができたようです。
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千年続く 会社をめざそう㊵
■「やらせる」のではなく「やりたくさせる」ということ■
先日、ある後継者の集まる会合で、次のような話が出ました。
「今の私の最大の課題は、幹部を育てることです」
これは多くの後継者が犯す過ちです。後継者に幹部を育てることなどできません。
育てられる何ものももっていないからです。
後継者ができることは、自分自身が精一杯背伸びをして
不断に自己成長させていくことしかない。
私はよく人の上に立つ人には、次のように話をします。
「言葉にするときは目線を下げ、姿を見せるときは目一杯背伸びをすること」
ところが得てして人は、この逆をやってしまいます。
すなわち、
「言葉にするときは上から目線で、姿を見せなければならない時にはできないことの言い訳ばかり」
厳に戒めなければなりません。
ではなぜこのような姿勢が大切なのか?
それはご自身が逆の立場であれば、よく理解できるはずです。
人はどのような人に魅力を感じるのでしょうか?
「この人のために頑張ろう!」「この人についていこう!」と思わせる人には、
いくつかの共通があるように思います。それは──
・互いのことがよく分かり合えていると思える人
・自分のことを大切に思ってくれている(ことが分かる)人
・夢を与えてくれる人、または共有できる人
・その夢に向かって率先垂範、遮二無二がんばっている人
・ この人と一緒にいれば、必ずよい成果が挙げられると確信が持てる人
などなど。そしてこのような人こそが、
真に人を育てることができる人なのだと思うのです。
真のリーダーシップ力とは、「やらせる」力ではなく「やりたくさせる」力。
そのことに気づいた時、今自分が何をしなければならないのか、
自ずとわかってくるのだと思います。
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■不安を取り除く、ということ■
人はときに「不安」になることがあります。
私はその不安の原因には、概ね三つあるように思います。
第一に、やるべきことが見当たらない、見つけ出せない不安。
第二に、やるべきことはわかっているのにできずにいる不安。
第三に、やるべきことをやっているはずなのになかなか成果が表れてこない不安です。
同じ不安であっても原因が違うのですから、対処法ももちろん変わってきます。
第一の不安に対しては、黙って待っていて答えが見つかるはずはありませんから、
もがきにもがいて、その時々に正しいと思えることをやりながら
答えが見つかるのを待つ、という姿勢になります。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、
この不安を解消するためには、
「天命(答えは必ず見つかること)を信じて人事を尽くす」
という姿勢が正しいように思います。
第二の不安については、その状態を放置できてしまっている原因を探る必要があります。
「楽をしたい」「苦労を避けたい」「要らぬいざこざを招きたくない」など、その原因はさまざまです。
正直なところ、放置できるのなら、それはそれで構わないと思います。
ただ「放置することを積極的に選択している」ということを
きちんと受け止める必要がある。
そうでない人は、必ず周囲に悪しき影響を及ぼすものです。
成果が上がらないことに対して人を責める、
自己を防衛するために要らぬことをする、よくない雰囲気をまき散らす……。
そのことをきちんと認識しておかなければなりません。
第三の不安は、これはもう、信ずるところを続けるしかない。
夜が明ければ朝が来る、冬が去れば春が来る。
ただし、どれだけ「これが正しい」と信じていても、
「もしかすると何か欠けていることがあるのかもしれない」という疑問は
常に持ち続ける必要がある。
その疑問を心に留めながらも、その答えが出ないのであれば、
信ずるところを全うするしかない。
いずれにしろ、不安になるのは、単に準備が足りないだけ。
「これ以上はない」と思える準備ができていれば、不安は覚悟に変わる。
そういうことだと思います。
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■意思決定する、ということ■
経営者の役割が「組織が必要とする役割によって変化する」ことは、
前回お伝えしました。
しかし変わらぬ役割もあります。
というよりも、いろんなものを削ぎ落とし、削ぎ落として、
最後に残る唯一無二の役割は「意思決定」することにあります。
これ以外にはないと言っても過言ではありません。
ところがときとして、経営者の口から
「決められない」という言葉をお聞きします。
その心情は、一人の人間としてとてもよくわかるのですが、
こと経営者となれば、それは役割放棄であり、経営者失格と言わざるを得ません。
なぜ「決められない」のか、
「決められない経営者」の口から出てくるその理由は様々です。
しかし真の理由は、そこにはないような気がします。
決められないのではなく、決めようとしていない。
いや、もっと積極的に、決めないという意思決定をしている、
そう思えてなりません。
今、濁流の中に我が子が流されているとする。
そんな状況の中で「決められない」ことなどあるでしょうか。
何も考えず、上着を脱ぐことさえ気づく間もなく飛び込み、助けようとする。
少々極端な例えかもしれませんが、
厳しい経営環境の中での意思決定とは、
本来そのようなものではないかと思うのです。
確かに「決める」ことは一定の辛さを伴います。
自分の決めたことです、もし失敗するようなことがあれば責任を取らなければなりません。
また実行にあたっても自ら率先して動かなければなりません。
人が決めたことであればその人のせいにすることもできるでしょうが、
自分の決めたことは誰も責められない。
でも、その責を負うことそのものが経営者の役割だと思います。
だからこそ、成功の暁にはそれに倍する喜びも得られる。
とにかく決めること、実践することが大切。
間違ったら正せばよい。
その失敗から得られることもまた多いもの。人は失敗からしか学べません。
経営者として一番問題なのは意思決定しないこと。
「決められない」のではなく、
積極的に「決めようとしていない」ことに気づかなければ前には進めない。
決められない経営者の方には、
まずこの認識が必要だと思います。
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千年続く 会社をめざそう㊱
■長年の功労者を遇する、ということ■
経営者の役割は、組織が必要とする役割によって変化します。
企業そのものが変化しているのですから、当然と言えば当然です。
たとえば、創業期においては教祖的なリーダーシップが求められるでしょうし、
ある程度成長し、管理者が育ってくればそのまとめ役、
さらに経営幹部が育ってくれば、一歩下がって全体を俯瞰する姿勢も
大切になってきます。
一方、求められる人材も企業の発展過程によって変化するのは当然です。
先の経営者の役割に照らせば、創業期においては、
よくも悪くもイエスマン的でないと成り立たないでしょう。
その後は与えられた組織のまとめ役、最終的には経営者の分身として
戦略立案まで担えれば最高です。
創業社長でよくみられるのは、
創業当初から頑張ってきてくれた人をそのままNO2にしているケース。
その人が戦略立案まで担える人材であればよいのですが、
少なくないのは悪い意味でのイエスマン。
そして求めるものと現実とのギャップを感じ、
口では文句を言いながらもその状態を放置されている。
このようなケースでは社員の不満もたまるばかり。
決してよい状態とはいえません。
では、創業以来の功労者であるその人を冷遇すればどうなるか?
昨今では、経営の厳しさを理由に、
それまでの功労者に冷たくあたる傾向もあるようですが、
それでは、若い社員が不安を抱くことになります。
繰り返しますが、時代が変われば必要な人材像も変化します。
過去の功労者が今必要な役割を担えるかどうかはわかりません。
しかし、過去の功労者を冷遇することが
組織風土に悪しき影響を与えることは避けられない。
ではどうすればよいのか?
好ましい組織風土を実現されている老舗企業を眺めてみた時、
一つの傾向があることに気づきます。
それは、報酬と役割の分離です。
ここでいう報酬とは単に経済的報酬を指すものではありません。
精神的報酬をも含みます。
彼がどんなに貢献してきたか、どんな点を見習うべきかなど、
社員からの尊敬を集めるような取り組みが必要です。
一方で、現在およびこれからの役割は別で考えなければならない。
その人が持っている長所や能力をじっくり眺め、
それにあった役割を与える。そういう姿勢が大切なのです。
過去をどう報い、今後どのような役割を担ってもらうか。
大変難しいテーマであろうかと思いますが、
その対応、その姿勢が社員の安心感と帰属意識を生むのだと思います。
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2012年12月28日(金)更新
部下指導は「できる」から始まる、ということ
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■部下指導は「できる」から始まる、ということ■
指導というものは、本当に難しいものです。
一番の難しさは、指導する側が必要だと思っていても、
指導される当の本人がその時点ではその必要性を感じていない、
というところにあるのではないかと思います。
先日も、20年前に直属の部下だった者と久しぶりに飲む機会があり、
酔いも手伝ってか、彼が次のようなことを話してくれました。
「今だから言えますけど、正直、僕は亀井さんのことが大っ嫌いだった。
亀井さんの言うことはいちいち納得できないし、反発しても正論で言い
返されるから何も言えなくなっちゃうし、言われた通りやってもなかな
か成果は出ないし・・・」
一緒にいた今の部下が目を白黒させながら聴いているのをよそ眼に、
その頃どれだけ嫌な思いをしていたかを延々と続けます。
しかし最後に、
「でも、あのときの指導があったから今の自分があると、これは自信を
持って言えます。本当に感謝しているんですよ。今だから言えますけど
・・・」
ちょっと嬉しかったです。ただ、「もう一回“あの頃の”亀井さんの部下になれと言われたら、
きっぱりと断りますけどね(笑)」の一言は要りませんでしたが・・・。
20年以上の歳月が経っていますが、
部下に対する姿勢はそれほど変わってはいないようです。
ただ、以前から比べれば、相手が気持ちよく理解し、納得し、
喜んで動いてくれるような工夫はするようになっているようです。
彼が“あの頃”を強調した理由は、
以前の私にはその工夫が全くなかったからだそうですから。
相手が「必要ない」と思っていても、
自分が「この人には必要だ」と思うのならば、
焦らず、じっくりと、相手がその必要性に気付くまで、
穏やかに伝え続ける。
部下指導においては、このような姿勢が大切なのだと思います。
そしてその相手への思い遣りが本物ならば、必ず届くのだと・・・
「こっちがそういう気持ちで接したって、伝わらない奴には伝わらない」と
達観されている方とよく出会います。
正直申し上げれば、それは逃げであり、
人の上に立つ者としての責任放棄であると思います。
「ダメだ」から始まるからダメになる。
「できる」から始めれば、必ずできるようになる。
そういう基本的認識が必要なのだと思うのです。
世界の人口70億人の中で私が出会える人はほんのごく僅か。
その僅かな人たちの中の一人が今、誰でもない、私という上司の前に立っている。
そのことに思い至れば、我が子と思い、我が弟・妹と思い、
本当に幸せな人生を送って欲しいと心から願って指導することができるようになる。
そして、本当に我が子と思い、我が弟・妹と思うことができるようになれば、
できるようになるまで我慢強く付き合っていくことができるようになる。
そういうことだと思います。
自分の目に映る相手の問題ということよりも、
「自分は今、どのタイプになっているのか?」を
相手という鏡に映った自分に問い掛けてみることが大切なのだと思います。
自戒を込めて・・・
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2012年10月30日(火)更新
約束を守る、ということ
千年続く 会社をめざそう㊹
■約束を守る、ということ■
「やるだけやってみます」
この言葉を聞いて、皆さんはどうお感じになりますか。
「困難なことでも何とかしようとする前向きな気持ちを感じる」方もいらっしゃるでしょうし、
「うまくいかなかったときの逃げ場を作っているだけだ」と
捉えられた方もいるのではないかと思います。
同じ言葉なのに、これだけ正反対の捉え方をされてしまう。
何だか面白いですね。
なぜこれほどのギャップが生じるのか?
私は「この言葉を口にしている人が誰かによって感じ方が変わる」ように思います。
前者の感じ方ができる相手は、約束を守る人、ないしは、
その約束を守るための努力と時間を惜しまないだろうと確信できる人。
逆に後者のように感じてしまうのは、約束を守らない人。いかがでしょうか?
以前、同じようなお話をした時、
「そんなんだったら、約束なんてしないほうがましだ!」と
真顔で答えた方がいらっしゃいました(苦笑)。
これは本末転倒ですね。
私は「約束は成長への片道切符」だと思います。
約束することはとても苦しい。約束しないですむならそのほうが楽。
でも、きちんと約束をし、その約束を果たした先には、
それ以前の自分とは比べ物にならないほど別人の成長した自分がいる。
その上、人からの信頼も自然についてくる。
要するに、約束をする・しないは“成長”に、
約束を守る・守らないは“信頼”に影響を及ぼす。
表にまとめると、こんな感じでしょうか?
「約束もしていないのに守る、守らないというのはおかしい」と
お感じになる方もいらっしゃると思いますが、
“約束”を“期待”と置き換えていただければ、
その意味はわかっていただけると思います。
ここも一つのポイントですが、約束はしていないけれども
人から期待されていることを認識している場合、
それは約束しているのと同じことだと思います。
ただ自ら覚悟をもって約束するか、
結果として約束したと同じことになるかでは、全くもって、雲泥の差ですが……。
いずれにしろ、約束することができる人は伸び、
約束を果たす人には自信と信頼が集まり、
約束をしない人は堕落する、そういうことだと思います。
一方で「人は鏡」だと言います。
また一番守らなければならないのは「自分との約束」だとも……。
自分の目に映る相手の問題ということよりも、
「自分は今、どのタイプになっているのか?」
と、相手という鏡に映った自分に問い掛けてみることが大切なのだと思います。
自戒を込めて・・・
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2012年10月16日(火)更新
肚を括ることのできる採用をする、ということ
千年続く 会社をめざそう㊸
■肚を括ることのできる採用をする、ということ■
前回に引き続き、私の採用責任者時代の失敗から学んだことを
お伝えしたいと思います。
採用活動を始めた最初の2~3年、何とも納得できない現象がありました。
それは、
「内定を出した途端に豹変する」
ということ。
内定をもらうまでは明るく、元気で、素直で、
二言目には「何でもやります!」。
その魅力に惹かれて内定を出すのですが、内定を出したとたん、
暗く、元気なく、自分のことしか考えず、
「○○は本当にやらなければならないのですか?」となってしまう。
当時は何人かに一人はこのような“豹変”する子がいました。
最初は「騙された」と、その内定者のせいにしていたのですが、
そのうちに、自分の面接方法に原因があるのではないかと考えるようになりました。
「私は○○をやっていて、そこで□□という成果を挙げることができました」
面接中、こんな話がよく出てきます。
それに対して当時の私は、
「それは凄いね。そういうことができるなら、
当社でやっている△△で力を発揮してもらえそうだね」
などと、その言葉を鵜呑みにし、一人悦に浸っていました。
それほど厳しいものではなかったのですが、
採用担当者としてのノルマもありましたので、
「これで一人確定!」という気持ちがあったことは否定できませんし、
応募者から「いい人と思われたい」という気持ちが
なかったとも言い切れません。
しかし実際には、
・「(自ら)やっていた」のではなく「(嫌々)やらされていた」
・「成果を挙げた」のは自分の力量や思いによるものではなく、他力によるものだった
などといった場合がある。
豹変する子の多くはそういうタイプで、
嘘とまでは言わないまでも、自力でないものを自力とし、
それが内定の理由になっていることを自覚する彼らは、
等しく内定後に“豹変”するのです。
このことに気づいてから、私は
「面接では“性悪説”。採用したら“性善説”」を心掛けています。
内定を出す前は両目を開けて長所も短所もじっくり見極める。
想像や思い込みではなく、確実に事実で裏を取る。
人は嘘をつくつもりではなくとも、
結果としてそれに等しいことをしてしまうことがある。
でも事実は裏切らない。
「なぜそうしようと思ったの?」「障害が生じた時あなたは何をしたの?」
「どうしてその苦難を乗り越えることができたの?」とどんどん詰める。
本当に“自力”によるものであればスラスラと答えられる。
少しでも事実ではなければ答えは詰まる、窮する、しどろもどろになる。
このように“性悪説”に立った問答をすることで
応募者の“素”の姿が顕かになり、
結果としてお互いの「ミスマッチ」は解消される、
そういうものだと思います。
また短所にも徹底的にスポットを当てる。
その子の長所・短所を十二分に知り尽くしたうえで、
「私はこの短所を認め許すことができるか、
ないしは責任を持って改めさせることができるか」で、
内定を出すか出さないかを判断する。
そういう姿勢が大切であることを学びました。
そしてこのような意思決定をしたとき、
彼・彼女をわが子のように育てていくことの
肚括りができるものだと思っています。
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2012年09月28日(金)更新
責任をもって育てる、ということ
千年続く 会社をめざそう㊷
■責任をもって育てる、ということ■
現在当社では、コンサルティング部門を中心に中途採用を実施しています。
私は平成14年から昨春まで人事・総務の責任者として採用に直接関わってきましたが、
現場の責任者に戻った今、改めてその難しさを痛感しています。
総務時代は数多くの失敗をしてきました。
またその失敗を通じて多くのことを学ばせてもいただきました。
その中から、いくつかご紹介させていただきたいと思います。
今でも悔やんでいる最大の失敗があります。
当社では新卒採用の際、①筆記、②グループディスカッション(以下GD)、
③マネージャー(課長クラス)面接、④配属予定部署の役員面接、
⑤社長(最終)面接というステップを踏みます。
第二次選考のGDでその失敗は起こりました。
このGDでは、120名ほどの一次選考通過者を1回あたり30名ほどのグループに分け、
さらにグループごとに5~6チームに分けて一つのテーマでディスカッションを行い、
その時の発言や立居振舞い・担った役割などを
毎回10名ほどのマネージャーが審査員となって見分し、
その結果で通過者を選定します。
当時の私は「多数決制」を採用していました。
すなわちマネージャー推薦の数の多さをもって、
二次選考通過者を決定していたのです。
2年目のことです。
あるマネージャーが「できれば残して欲しい」という学生がいました。
しかしその他のマネージャーからの推薦はありませんでした。
私は原則に従って、その子に不採用通知を送りました。
しかし、どこかで引っ掛かりがあった。そんな時、その子から電話が入って来たのです。
「もう一度チャンスをください」と。
私は「残して欲しい」と言ったマネージャーに連絡を入れました。
彼は大いに喜び、「ぜひ面接させてほしい」と懇願しました。
その後、役員面接、社長面接と進んで、結果は「採用」。
モヤモヤ感を感じながらも、
少しホッとしたというのがその時の素直な気持ちでした。
しかし、それだけではすみませんでした。
その年の忘年会の、内定者も交えた二次会の席で、
その子が他の内定者に「本当は二次選考で落ちていた。一度捨てられた子」と
話しているのを耳にし、自分が犯した罪の大きさに愕然としました。
その子が今ではその部門のNO2の立場を担っていることを考えると、
なおさら心に刺さった棘が痛みます。
「不要な負い目を背負わせてしまった」と。
翌年の二次選考では、審査方法を「スター誕生方式」に変えました。
年配の方であればご存じだと思いますが、
歌手志望の子がステージで歌い、それを見聞きし、
その子を育てたいと思ったプロダクションの代表者が
プラカードを挙げてその意思表示をする、という
古いテレビ番組と同じ方法を採ったのです。
具体的には、GD終了後、審査員となったマネージャーに
次のように質問します。
「あなたが責任を持って育てたいと思う人に手を挙げてください」と。
この方式に変えて、一つ面白い現象が起こりました。
10名の審査員の殆どが「○」を付けているのに、
「育てたい」人には誰も手を挙げない、ということが結構多く見受けられたのです。
「良い子」と「育てたい子」は、どうも違うようです。
「責任を持って人を採用する」姿勢は、
永続企業が等しく持つ一面ではないかと思います。
もう一つ、ご紹介したい失敗がありますが、
これは次回に譲りたいと思います。
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2012年08月29日(水)更新
お客様に寄り添う、ということ
千年続く 会社をめざそう㊶
■お客様に寄り添う、ということ■
先日、営業成績が伸び悩むA君から電話があり、
「どうしたら売れるようになるのでしょうか?」との
質問を受けました。
「売ろうとしていたら売れないよ。得る(うる)のはお客様で、
こちらは買ってもらうの」
「はぁ~」と不満とも不安ともつかない声のあと、
「どうしたら買ってもらえるか、教えてください」というA君に、
私は次のような話をしました。
「恋人がいるとするだろ。その恋人が、思い悩んでいる。そんな
時、どうする? いきなり『こうしたらどう?』なんて言わない
だろ。だって何に悩んでいるか、わからないんだから。だからま
ずは話を聴くよね?『どうしたの?』って」
「そうすると、少しずつ話をし始める。でもたいてい本人も頭の
中が整理されているわけではないから、脈略のない話がいろいろ
出てくる。そんな状態では、こちらもよくわからないから、『そ
れはどういうこと?』『なぜそうなったの?』『本当はどうした
いの?』って、いろんな角度から聴いていくよね。そうすると、
彼女も頭の中がだんだん整理されてくる」
「元々、悩んでいるのは彼女。だから答えはこちらにはなくって、
彼女の中にある。こちらができるのは、彼女の中にある答えを引
き出してあげることだけ。そしてそれを引き出すためには、よい
質問をすること」
「じゃあ、よい質問をするためには、どうしたらよいと思う?
そう、本当に彼女のためを思って、彼女の悩みを解決してあげた
いと心から願って、自分のできる最大限のことをしてあげたいと
念願したら、勝手によい質問ができるものさ」
「そうこうしているうちに、彼女の悩みの原因がはっきりしてく
る。原因さえはっきりすれば、自分がしてあげられることもはっ
きりする。もし今の自分では解決してあげられないのであれば、
どうしたら力になってあげられるかを考え、実践すればよい」
「彼女をお客様に置き換えて、そういう気持ちでお客様に寄り添
っていく。そういう姿勢が大切じゃないかな?」
……と伝える私に、A君は今一つ煮え切らない声でしたが、
「わかりました」と言って電話を切りました。
その声のトーンに、
〈もしかしかしたら、愚痴を聞いて欲しかっただけかもしれない〉と、
A君の本音に寄り添えなかったのかもしれない自分を、
少し反省しました。
いずれにしても、お客様であっても、社員さんであっても、
お客様を親・兄弟や恋人・伴侶、我が子のように寄り添えば、
本人が気づいていなくても、今何が必要かが自ずと見えてくる。
そして、そのとき自分ができる最大限のことをやらせていただく──。
そこに真の信頼関係が生まれるものだと思います。
数日後、「今恋人はいないので、妹だったらと思って接してみました」と
嬉しそうに受注報告をしてくれたA君。
私の反省をよそに、自ら「得る」ことができたようです。
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2012年08月14日(火)更新
「やらせる」のではなく「やりたくさせる」ということ
千年続く 会社をめざそう㊵
■「やらせる」のではなく「やりたくさせる」ということ■
先日、ある後継者の集まる会合で、次のような話が出ました。
「今の私の最大の課題は、幹部を育てることです」
これは多くの後継者が犯す過ちです。後継者に幹部を育てることなどできません。
育てられる何ものももっていないからです。
後継者ができることは、自分自身が精一杯背伸びをして
不断に自己成長させていくことしかない。
私はよく人の上に立つ人には、次のように話をします。
「言葉にするときは目線を下げ、姿を見せるときは目一杯背伸びをすること」
ところが得てして人は、この逆をやってしまいます。
すなわち、
「言葉にするときは上から目線で、姿を見せなければならない時にはできないことの言い訳ばかり」
厳に戒めなければなりません。
ではなぜこのような姿勢が大切なのか?
それはご自身が逆の立場であれば、よく理解できるはずです。
人はどのような人に魅力を感じるのでしょうか?
「この人のために頑張ろう!」「この人についていこう!」と思わせる人には、
いくつかの共通があるように思います。それは──
・互いのことがよく分かり合えていると思える人
・自分のことを大切に思ってくれている(ことが分かる)人
・夢を与えてくれる人、または共有できる人
・その夢に向かって率先垂範、遮二無二がんばっている人
・ この人と一緒にいれば、必ずよい成果が挙げられると確信が持てる人
などなど。そしてこのような人こそが、
真に人を育てることができる人なのだと思うのです。
真のリーダーシップ力とは、「やらせる」力ではなく「やりたくさせる」力。
そのことに気づいた時、今自分が何をしなければならないのか、
自ずとわかってくるのだと思います。
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2012年07月24日(火)更新
不安を取り除く、ということ
千年続く 会社をめざそう㊴
■不安を取り除く、ということ■
人はときに「不安」になることがあります。
私はその不安の原因には、概ね三つあるように思います。
第一に、やるべきことが見当たらない、見つけ出せない不安。
第二に、やるべきことはわかっているのにできずにいる不安。
第三に、やるべきことをやっているはずなのになかなか成果が表れてこない不安です。
同じ不安であっても原因が違うのですから、対処法ももちろん変わってきます。
第一の不安に対しては、黙って待っていて答えが見つかるはずはありませんから、
もがきにもがいて、その時々に正しいと思えることをやりながら
答えが見つかるのを待つ、という姿勢になります。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、
この不安を解消するためには、
「天命(答えは必ず見つかること)を信じて人事を尽くす」
という姿勢が正しいように思います。
第二の不安については、その状態を放置できてしまっている原因を探る必要があります。
「楽をしたい」「苦労を避けたい」「要らぬいざこざを招きたくない」など、その原因はさまざまです。
正直なところ、放置できるのなら、それはそれで構わないと思います。
ただ「放置することを積極的に選択している」ということを
きちんと受け止める必要がある。
そうでない人は、必ず周囲に悪しき影響を及ぼすものです。
成果が上がらないことに対して人を責める、
自己を防衛するために要らぬことをする、よくない雰囲気をまき散らす……。
そのことをきちんと認識しておかなければなりません。
第三の不安は、これはもう、信ずるところを続けるしかない。
夜が明ければ朝が来る、冬が去れば春が来る。
ただし、どれだけ「これが正しい」と信じていても、
「もしかすると何か欠けていることがあるのかもしれない」という疑問は
常に持ち続ける必要がある。
その疑問を心に留めながらも、その答えが出ないのであれば、
信ずるところを全うするしかない。
いずれにしろ、不安になるのは、単に準備が足りないだけ。
「これ以上はない」と思える準備ができていれば、不安は覚悟に変わる。
そういうことだと思います。
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2012年07月17日(火)更新
実は過去は変えられる、ということ
千年続く 会社をめざそう㊳
■実は過去は変えられる、ということ■
先日、目からウロコの話をうかがいました。
私はこれまで「過去と他人は変えられない。変えることができるのは未来と自分」と
お伝えしてきました。
過去の出来事にうじうじせず、変わらない周囲を恨むことなく、
自分と未来を輝かしいものにする、そういう考えの大切さを示すものです。
しかしある方から次のようにお聞きしました。
「未来は変えられないが、過去は変えることができる」
この言葉を聞いた時には、正直、耳を疑いました。
「表現の仕方を間違えられたのだろう」と思ったのです。
ところがその方は大真面目で、「言い間違えたわけではないですよ」とまで念を押します。
その意味をおたずねしたところ、次のような回答が返ってきました。
「未来はまだ起こってないのだから変えることはできません。
また過去に起こってしまったことそのものは変えられません。
でもその出来事の捉え方は変えることができます。だから過去は
変えられるのです。」
なるほど、と唸るしかありませんでした。
人間はある現象に出会うと、一定の感情が生じます。
しかし同じ現象に出会ってもそれによって生まれる感情は万人共通ではない。
たとえば、叱られたときに生ずる感情は、怒りであったり、
悲しみであったり、感謝であったりする。
同じ人でもその立場や状況、また精神状態によっても違ってきます。
なぜこれほどの違いを生ずるのか。
それは起こった現象に対する「捉え方」にその原因があります。
「叱られた」という現象に対して、「俺だって一生懸命やっている」と
捉えれば「腹が立つ」。
「また叱られちゃった。嫌われちゃうかなぁ」と捉えれば「悲しい」。
「この人は私を育てようとして、
勇気を持って叱ってくれている」と捉えれば「ありがたい!」。
そしてどの捉え方が自分を、そして周りを“幸せ”にできるか?
これは火を見るより明らかです。
以前、どこかの国のトップが
「最小不幸社会の実現をめざす」などという言葉を使いましたが、
全くナンセンスです。
今に幸せを感じることができなかったら、
いつまで経っても幸せになることなどできない。
「過去と他人は変えられない。変えることができるのは未来と自分」
これからはこの言葉と共に、
「過去の捉え方を変えることで、人はより一層幸せになることができる」
という一言を加えようと思います。
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■実は過去は変えられる、ということ■
先日、目からウロコの話をうかがいました。
私はこれまで「過去と他人は変えられない。変えることができるのは未来と自分」と
お伝えしてきました。
過去の出来事にうじうじせず、変わらない周囲を恨むことなく、
自分と未来を輝かしいものにする、そういう考えの大切さを示すものです。
しかしある方から次のようにお聞きしました。
「未来は変えられないが、過去は変えることができる」
この言葉を聞いた時には、正直、耳を疑いました。
「表現の仕方を間違えられたのだろう」と思ったのです。
ところがその方は大真面目で、「言い間違えたわけではないですよ」とまで念を押します。
その意味をおたずねしたところ、次のような回答が返ってきました。
「未来はまだ起こってないのだから変えることはできません。
また過去に起こってしまったことそのものは変えられません。
でもその出来事の捉え方は変えることができます。だから過去は
変えられるのです。」
なるほど、と唸るしかありませんでした。
人間はある現象に出会うと、一定の感情が生じます。
しかし同じ現象に出会ってもそれによって生まれる感情は万人共通ではない。
たとえば、叱られたときに生ずる感情は、怒りであったり、
悲しみであったり、感謝であったりする。
同じ人でもその立場や状況、また精神状態によっても違ってきます。
なぜこれほどの違いを生ずるのか。
それは起こった現象に対する「捉え方」にその原因があります。
「叱られた」という現象に対して、「俺だって一生懸命やっている」と
捉えれば「腹が立つ」。
「また叱られちゃった。嫌われちゃうかなぁ」と捉えれば「悲しい」。
「この人は私を育てようとして、
勇気を持って叱ってくれている」と捉えれば「ありがたい!」。
そしてどの捉え方が自分を、そして周りを“幸せ”にできるか?
これは火を見るより明らかです。
以前、どこかの国のトップが
「最小不幸社会の実現をめざす」などという言葉を使いましたが、
全くナンセンスです。
今に幸せを感じることができなかったら、
いつまで経っても幸せになることなどできない。
「過去と他人は変えられない。変えることができるのは未来と自分」
これからはこの言葉と共に、
「過去の捉え方を変えることで、人はより一層幸せになることができる」
という一言を加えようと思います。
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2012年06月26日(火)更新
意思決定する、ということ
千年続く 会社をめざそう㊲
■意思決定する、ということ■
経営者の役割が「組織が必要とする役割によって変化する」ことは、
前回お伝えしました。
しかし変わらぬ役割もあります。
というよりも、いろんなものを削ぎ落とし、削ぎ落として、
最後に残る唯一無二の役割は「意思決定」することにあります。
これ以外にはないと言っても過言ではありません。
ところがときとして、経営者の口から
「決められない」という言葉をお聞きします。
その心情は、一人の人間としてとてもよくわかるのですが、
こと経営者となれば、それは役割放棄であり、経営者失格と言わざるを得ません。
なぜ「決められない」のか、
「決められない経営者」の口から出てくるその理由は様々です。
しかし真の理由は、そこにはないような気がします。
決められないのではなく、決めようとしていない。
いや、もっと積極的に、決めないという意思決定をしている、
そう思えてなりません。
今、濁流の中に我が子が流されているとする。
そんな状況の中で「決められない」ことなどあるでしょうか。
何も考えず、上着を脱ぐことさえ気づく間もなく飛び込み、助けようとする。
少々極端な例えかもしれませんが、
厳しい経営環境の中での意思決定とは、
本来そのようなものではないかと思うのです。
確かに「決める」ことは一定の辛さを伴います。
自分の決めたことです、もし失敗するようなことがあれば責任を取らなければなりません。
また実行にあたっても自ら率先して動かなければなりません。
人が決めたことであればその人のせいにすることもできるでしょうが、
自分の決めたことは誰も責められない。
でも、その責を負うことそのものが経営者の役割だと思います。
だからこそ、成功の暁にはそれに倍する喜びも得られる。
とにかく決めること、実践することが大切。
間違ったら正せばよい。
その失敗から得られることもまた多いもの。人は失敗からしか学べません。
経営者として一番問題なのは意思決定しないこと。
「決められない」のではなく、
積極的に「決めようとしていない」ことに気づかなければ前には進めない。
決められない経営者の方には、
まずこの認識が必要だと思います。
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2012年06月15日(金)更新
長年の功労者を遇する、ということ
千年続く 会社をめざそう㊱
■長年の功労者を遇する、ということ■
経営者の役割は、組織が必要とする役割によって変化します。
企業そのものが変化しているのですから、当然と言えば当然です。
たとえば、創業期においては教祖的なリーダーシップが求められるでしょうし、
ある程度成長し、管理者が育ってくればそのまとめ役、
さらに経営幹部が育ってくれば、一歩下がって全体を俯瞰する姿勢も
大切になってきます。
一方、求められる人材も企業の発展過程によって変化するのは当然です。
先の経営者の役割に照らせば、創業期においては、
よくも悪くもイエスマン的でないと成り立たないでしょう。
その後は与えられた組織のまとめ役、最終的には経営者の分身として
戦略立案まで担えれば最高です。
創業社長でよくみられるのは、
創業当初から頑張ってきてくれた人をそのままNO2にしているケース。
その人が戦略立案まで担える人材であればよいのですが、
少なくないのは悪い意味でのイエスマン。
そして求めるものと現実とのギャップを感じ、
口では文句を言いながらもその状態を放置されている。
このようなケースでは社員の不満もたまるばかり。
決してよい状態とはいえません。
では、創業以来の功労者であるその人を冷遇すればどうなるか?
昨今では、経営の厳しさを理由に、
それまでの功労者に冷たくあたる傾向もあるようですが、
それでは、若い社員が不安を抱くことになります。
繰り返しますが、時代が変われば必要な人材像も変化します。
過去の功労者が今必要な役割を担えるかどうかはわかりません。
しかし、過去の功労者を冷遇することが
組織風土に悪しき影響を与えることは避けられない。
ではどうすればよいのか?
好ましい組織風土を実現されている老舗企業を眺めてみた時、
一つの傾向があることに気づきます。
それは、報酬と役割の分離です。
ここでいう報酬とは単に経済的報酬を指すものではありません。
精神的報酬をも含みます。
彼がどんなに貢献してきたか、どんな点を見習うべきかなど、
社員からの尊敬を集めるような取り組みが必要です。
一方で、現在およびこれからの役割は別で考えなければならない。
その人が持っている長所や能力をじっくり眺め、
それにあった役割を与える。そういう姿勢が大切なのです。
過去をどう報い、今後どのような役割を担ってもらうか。
大変難しいテーマであろうかと思いますが、
その対応、その姿勢が社員の安心感と帰属意識を生むのだと思います。
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- 決断の本質は「捨てる」肚の括りにあるということ [08/28]
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- 商いとは壮大な「物語」である、ということ [03/06]