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2011年07月13日(水)更新

たった一言で人生は変わる、ということ

千年続く 会社をめざそう⑮
■たった一言で人生は変わる、ということ■


人生は、たった一言(ひとこと)で大転換をするものだと
つくづく思います。よくも悪くも・・・
 
先日も、あるお客様のところに訪問したところ、
以前は暗くて、だらだらしていて、覇気がないように見えていたA君が、
見違えるように明るく、キビキビ、生き生きしていて、びっくりしました。
 
彼の上司に尋ねたところ、ある取引先の役員が彼の作業を見て、
「君には天性のものがある」と言われて激変したのだとか。
 
「そんなことなら、いくらでも言ってやるのに・・・ねえ」と苦笑いする上司。
「でも俺ではだめだったんだろうなぁ」とのこと。
 
前回も紹介した森信三先生の言葉。
 
「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。
しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に」
 
A君にとってその役員の方は、まさに「必ず逢うべき人」であったのでしょう。
そして彼はそれを逃さなかった。
 
しかし、実はこの言葉には続きがあります。
 
「ただし内に求める心無くば、縁は生ぜず」
 
人間には『捉え方』というものがあります。
たとえば「怒られた」という現象が生じた時、
「俺はちゃんとやっているのに、どうしてわからないんだ!」とか
「あんただってできていないじゃないか!」と捉えたら、腹が立つ。
でも「この上司は、本当は言いたくないことを、私のことを思って言ってくれた」と捉えたら、
「ありがとうございます!」となる。
 『捉え方』によって、180度答えは変わってくるのです。
 
A君だって、その役員さんの言葉を「どうせ口から出まかせでしょ?」とか
「そうやって頑張らせようったって、そうはいかないよ!」などと捉えてしまったら、
激変どころか、余計に殻に閉じこもってしまったことでしょう。
 
でも彼は激変した。

それにはその上司の日ごろからの言葉掛けがあったのだと思います。
その役員の言葉を、素直に、前向きに、好意的に捉えることができたベースを作ったのは、
「内に求める心」を育て上げたのは、その上司に他ならないと思います。
 
「あなたの日頃の指導の賜物ですよ」
 
という私の返答を彼がどう捉えたか・・・それは数年後に見てみたいと思います。
 
いずれにしろ、人生を大好転させるような一言に出会える人・・・
いや、たった一言から人生を大好転させることができる人は、幸せだと思います。






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2011年06月28日(火)更新

生まれ変わる、ということ

千年続く 会社をめざそう⑭
■生まれ変わる、ということ■


人間は、毎日毎日生まれ変わっている、といわれます。
今日の自分は昨日の自分ではない、全くの別人なのだと・・・なかなか実感できませんね。
 
一方で、人間が一瞬にして劇的に変ることがある、ということについては、その通りだと思います。
現に私は、多くの「激変者」に出会って来ました。
みなさんも一人や二人、お会いになったことがあるのではないでしょうか?
 
・今まで親に文句ばっかり言っていた人が、親の本当の愛を知って・・・
・今まで何に対してもヤル気を見せなかった人が、自分の生まれてきた意味を感じて・・・
・今まで人の所為にばかりしていた人が、自分の過ちを受け入れて・・・
 
いろんな「激変」がありますが、どうもそこには共通点があるようです。
それは人との出会いや出来事といった“気付き”を得られる場がある、ということです。
それも、「ここでそれがあるか!?」というくらい、実にタイミングよく、見事に目の前に現われる。
 
国民教育の父といわれる故・森信三先生が
 
「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢う。しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないときに」
 
とおっしゃっていますが、まさにその通りだと思います。
 
ただその“場”だけがあれば人間変れるかというと、然に非ず。
そこには自ら「変るんだ!」という強い、明確な意思が伴わなければならないようです。
たしかに変ることができない人は、「分かってはいるんだが・・・」を枕詞に
さまざまな理由を挙げ連ねて、「変れない」自分を正当化するものです。
 
少し視点は異なりますが、私は「続ける」ということについて、次のような話をします。
 
「やめる理由は五万とある。暑いだ、寒いだ、辛いだ、キツイだ、
自分にあっていないだ、やりがいが見つからないだ・・・挙げだしたらきりがない。
続ける理由はただ一つ、自分がやると決めたことだから・・・」
 
「やめる」を「変れない」に、「続ける」を「変える」に置き換えていただければ・・・「続ける」ことも「変る」ことも、根本は一緒。この一点に尽きると思います。
 
人生には転機があります。イベントがあります。
それはまさに気付きを得ることができる最良の場。
 
そのときこれを逃さず、気合一発、勇気と覚悟をもって、本気になって生まれ変わる。
生まれ変わりには、そういうものが大切なのだと思います。



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2011年06月21日(火)更新

本当の強さ、ということ

千年続く 会社をめざそう⑬
■本当の強さ、ということ■



現在当社では、入社3年経過者面談というものを行っています。
文字通り、入社後3年を経過した社員を対象に人事部が面談をするというもの。
目的は、「石の上にも三年」がんばってくれた社員に対して、
これからの成長のために必要なアドバイスをすることです。
 
私がこの面談の担当になって今年で5年目になりますが、
多くの者が、共通して口にすることがあります。それは、
 
 「自分の強みが見つかりません」
 
それが自信喪失であったり、上司や会社への不平不満になっていたり、
ただ単なる逃げ口上だったりと、現われ方はさまざまですが・・・
 
入社して1年目は、何をやっているのかさっぱりわからない。
上司や先輩の言われるままに作業して、
「はい出来上がり」と言われても「えっ、終わったんですか?」といった状態。
 
2年目になると、やっと何をやっているのか、その意味がわかり始め、
自分の業務は段取りもつけられるようになる。
 
3年目になると、自分のみならず、周囲もコントロールできるようになり、
仕事を能動的にこなせるようになる。
 
そんな状況で迎える4年目。でも「自分らしさ」や
「自分にしかできないこと」までには至っていない。
 
 「3年がんばれば、もっと凄い自分になっていると思っていました」
 
これは素直な気持ちだと思います。
 
そんな彼らに私が伝えるのは、
 
「二十代は川下り。今はただただ目の前の仕事に没入しなさい。答えは必ず見つかる。」
 
どうも最近の採用サイトの弊害か、「やりがいのある仕事」だとか、
「自分に合った仕事」だとかを求める(求めさせられる)傾向にあるように思います。
正直なところ、そんな仕事はこの世の中にはない。
「やりがいを持って仕事をする」「仕事に選んでもらえる自分になる」しかないのです。
そういう姿勢で働いて初めて「やりがい」だとか
「自分にしかできない仕事」だとかが見つかるもの。
 
「あなたが憧れる先輩達がみんな通ってきた道。信じて精進しなさい」
 
このような話をして、どのような反応を示すと思いますか? 
ほぼ100%、「気持ちが楽になりました」と、爽やかな顔をして帰っていきます。
一見まともそうに見える“常識”を勝手に作り出し、多くの者を不幸にしているこの社会。
少々憤りを感じるところです。
 
一方で私は、次のようなことも伝えています。
 
「弱い人間であることはよいことだ。
弱いからわかることがある。弱くないとわからないことがある。
だから、気落ちすることがあっても、苦にすることはない。
逆に、そこから何を学ぶべきかを考えなさい」
 
「ただ、放置してはいけない。
弱い自分がいることを喜んで、楽しみながらその弱さを克服していこう!」
 
あるがままを受け入れる、そういうことが本当の強さだと思います。
 





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2011年05月30日(月)更新

「社長さん」を育てる、ということ

千年続く 会社をめざそう⑫
■「社長さん」を育てる、ということ■



先日、ある社長さんが、次のような話をしてくださいました。
 
「この前、うちの社員が嬉しそうに、『お客さんから
“あなたがこの会社の社長さんですか?”って言われち
ゃいました!』と報告してくれました。お客様からそ
う言って貰える社員を持てる私は幸せです」
 
本当にその通りだと思います。
 
人から“社長”だと思われるということは、
 
・誰よりもお客様のことを考えている。
・誰よりも会社のことを考えている。
・誰よりも会社の仲間のことを考えている。
 
と見られるほどの言動をしているということ。
こんなに頼もしい社員さんはいませんよね。
 
そんな社員さんをどう育てたらよいのか?
その切り口は、それほど難しいことではないと思っています。
一言で言えば、
 
「トップの仕事好きを社員さんに伝染させる」
 
ということ。元々社風というものは、
トップの言動を通じて定着していくもの。まさに、
 
 「トップが変われば社員は変わる」
 
なのです。
これは会社で言えば社長ですが、部門で言えば部門長でも同じことです。
 
よく自社の風土や社員さんの立ち居振る舞いに不満を口にする経営者がいらっしゃいますが、
鏡に映った自分の顔の汚れを消そうと、一生懸命鏡を擦るようなもので、
決してその汚れは消すことはできない。

どうすればよいかといえば、自分の顔を拭えばよい。
人を改めさせよう、変えようとする前に、まず自ら改め、自分が変わればよいのです。
 
自分がとことん仕事に惚れ込み、目いっぱい輝いて生きる。
そうすれば、それが鏡となって社員さんの心に火を燈す。
その究極の姿が、
 
「あなたがこの会社の社長さんですか?」
 
と言われる社員さんなのだと思います。
 
そして・・・そんな社員さんを育成できる社長さんは、最高の社長さんです!



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2011年05月16日(月)更新

人の真価、ということ

千年続く 会社をめざそう⑪
■人の真価、ということ■

新人とベテラン、一体何が違うのだろうと考えた時、多分それは「失敗の多さ」にあるのだろうと思います。もちろん、失敗は多くても、そこから学ぶことが少ない人は、何ともなりませんが・・・
 
一方、人の真価というものは、緊急時・非常時にはっきりと現われるもの。この真価もまた、「失敗の多さ」とそこから気付くこと、学ぶことの多さによって磨かれるものだと思います。
 
元来人間は、利己的で、保身的で、わがままで、自分勝手で・・・
そんな人間が若い頃はどうしても「我」が出る、というよりも、「我」しかないから、どうしても利己的で、保身的で、わがままで、自分勝手な言動を取ることになる。
 
ところが、そんな言動を取っていて、うまくいくはずがなく、衝突したり、クレームを受けたり、雷を落とされたり・・・
 
そのような経験の中から、何をやってはいけないのか、どうしなければならなかったのかを学んでいく。結果として「他責から自責へ」「自利から利他へ」と自己革新していくのだと思います。
 
ところが、失敗が少なかったり、失敗しても他責や自利から抜け出すことができなかったら、人間が磨かれていかない。そういう人は、「まさか」の時に、人から疎まれるような行動しか取れない。だから人心が離れていってしまうのだろうと思います。
 
人は失敗からしか学ぶことができません。成功は、確かに嬉しくて、楽しくて、満足して、有頂天になることができます。しかし、学びは少ない。人は失敗から多くのことを気づき、学ぶことができるのです。
 
よって失敗を恐れず、失敗から気付き学ぶ姿勢が何よりも必要です。
 
そして人の上に立つ者にとって、いかに社員さんや部下に「効果的な失敗をさせることができるか」が最大のテーマになります。要するに、社員や部下の失敗を心から喜べるようでないといけない。社員や部下の失敗に対しては、「顔で怒って、心で笑う」といった二重人格的対応が大切なのだと思います。
 
まさかのときに、本当の真価が問われる。その真価は、失敗とその受け止め方、対処の仕方によって磨かれていく。自分自身の人間的成長を考えるときも、部下育成を考えるときも、大切な視点だと思います。





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2011年04月27日(水)更新

「損得」ということ

千年続く 会社をめざそう⑩
■「損得」ということ■

いつの時代も、お金に対する姿勢は、その人の人格を端的に表わすものであると思います。
 
先日も、さも自慢げに「ゴネ得だった!」と満面に笑みを浮かべ、その手柄(?)話を延々とお話になる方がいらっしゃいました。最初の内は、内心「可哀想に・・・」と思いながらも、「それは良かったですね」などと話をあわせてみたものの、余りにも続く耳を覆いたくなるような話の連続に、「これ以上お話になると、あなたへの信用はマイナスに突入しますが、お続けになりますか」と釘を刺しました。
 
でもその方はキョトンとしている。「何言ってるの、この人」という感じで・・・。本人は気付かないものなんですね。
 
「ゴネ得」以外にも、お金に関する悪しき習慣はあります。
・払込期日を守らない。いつまで経っても払わない。
・サービスを受けてから値引きを要求する。
・請求額よりも少ない額しか支払わない。
・勝手に手形サイトを延ばす。
・勝手に振込手数料を差し引いて振り込む。
などなど。
 
もちろん、相手の“快諾”があれば別ですが、多くの場合は不承不承の承諾か、ないしは未承諾でやってしまっていることが多い。「それがうちの業界の商習慣だから・・・」などといって・・・これが大問題です。
 
冷静に考えれば当然のこと。「自分がされたらどうなのか?」という問いを自らに投げかけてみれば明らかです。そういうことをする人を信頼することができますか?自分が相手の立場だったらやられたくないことをしてはいけません。ただそれだけのことです。
 
逆に、お金の払いが綺麗な人は、それだけで信頼を得られるもの。更には感謝をされて、報恩も受けられるようになる・・・
 
何も「余分に払え」と言っているのではありません。お互い商いですから、お金にはシビアでなければなりません。でもその交渉はキッチリと事前に行い、交渉が成立したらその約束事はキッチリ果たす。ただそれだけのことです。
 
「ゴネ得とどこが違うの?」という声が聞こえてきそうですが、言葉面ではなく、心で捉えていただければお分かりいただけると思います。要するに「お互いが快く納得できる」ことが前提なのです。
 
目先の欲得に目がくらみ、将来の信用を失うようなことをしてはいけません。本当の「得」は「徳」に通じるものでなければならないのだと思います。

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2011年04月13日(水)更新

復興支援を考える

千年続く 会社をめざそう⑨
■復興支援を考える■

3月11日から既に1ヶ月が経過しました。地震と津波という天災と、原発事故という人災の犠牲になられた方々に改めてお悔やみ申し上げますと共に、被害にあわれた方々に、心よりお見舞い申し上げます。
 
この大震災を通じて、私達はいくつかのことをきちんと考えておかなければならないと思います。既に多くの方がおっしゃっていますので、今さらという感もありますが、私なりの考えとしてまとめておきたいと思います。
 
第一に、この国に生まれ育ってきたことの誇りを取り戻さなければならない、ということ。私達はこれまで、心ない情報と教育によって、徹底的に日本国民であることの誇りとプライドを失わされてきました。しかし今の今、東日本で被害にあわれている方々の規律ある行動と、自ら被害者であるにも関わらず、世のため人のために尽力されておられる方々の姿を見聞きするにつけ、「何と素晴らしい国に生まれ育つことができたんだろう」との気持ちを禁じ得ません。今まさに、この姿を通して、社員さんに、子ども達に、「この日本という国は、こんなに素晴らしい国なんだ。誇りを持って生き抜こう!」とのメッセージを発し続けていかなければならないと思うのです。それが人の上に立つ、人を教え導く立場の者の責任だと思うのです。
 
第二に、被害にあわなかった私達は、普段どおりの生活をしなければならない、ということ。「自粛」という上っ面の偽善行為のために、どれだけの人たちが泣いていることか。
経済はお金が動いてなんぼの世界。財布の紐を締めてしまえば、経済は悪化してしまう。「普段だったらやるのか、やらないのか?」「買うの、買わないのか?」「行くのか、行かないのか?」・・・「やる」「買う」「行く」のなら、今の今、そうすること。そういう問い掛けを常に行って、自らの行動をただしていかなければなりません。これ以上、経済を冷やしてはいけないのです。生活者としては、普段どおりの生活をすることが最高の復興支援であると認識しなければならないと思うのです。
 
第三に、被害にあわなかった私達は、普段の1.5倍稼がなければならない、ということ。経済という分野で担っていただいていた東日本の方々の力が、今の今、他のことごとに使わざるを得なくなっています。しかし日本全体からすれば、それがないと国力を維持することができない。ならば、私達被害にあわなかった地域の者たちが、その不足する部分を補っていかなければなりません。生活人としては普段どおりで良くっても、経済人としては1.5倍の努力が必要なのだと思うのです。義援金一つとっても、今はストックの中から出していますが、このままではいつか底を打ちます。普段どおりの生活をし、さらに義援金を出し続けるだけの儲けがいります。またインフラ整備に25兆円以上掛かるといわれています。稼いで、儲けて、法人税・所得税をたくさん払ってその資金に当てなければなりません。それには最低1.5倍の儲けがいる、そう思うのです。
 
私達はこの震災を、単なる災いで終わらせず、学びの、自己革新の、更なる明るい未来創りへのきっかけにしなければならない。そう心することが、自然からの尊い教えの受け止め方だと思います。
 

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2011年03月23日(水)更新

考える、ということ

千年続く 会社をめざそう⑧
■考える、ということ■



『「よい考え方をしろ」と言われますが、どういう考え方がよい考え方なのでしょうか?』

これは先日行った会社説明会の後、一人の学生から問われた内容です。その真剣な面持ちを見て、これは安易に答えてはいけないと思い、言葉を選びながら、次のような会話をしました。

私 「この世は全て対立、二律背反の世界だよね。親子、師弟、君臣、夫婦などなど。
もしそれぞれが自分の立場だけで物事を考えたらどうなると思う?」
学生「喧嘩が絶えないと思います。」
私 「そうだね。逆にどのように考えたら争いがなく、みんながハッピーになれると思う?」
学生「・・・相手の立場で物事を考えるとき・・・でしょうか?」
私 「そうだね。お互いが相手の立場で物事を考えることが出来たら、とってもハッピーな世界が待っていそうだね。」
学生「でもそうしたら、自分のやりたいことがやれなくなってしまうんじゃないでしょうか?何だか、ハッピーとは程遠いような・・・」
私 「たとえば、僕達の前においしい料理が並んでいるとするよね。でもお互いに自分の腕より長い箸を持たされていて、自分では食べることが出来ない。そのときに私が、おいしい料理を箸でつまんで、目の前にいるあなたに食べさせてあげたとしたら、あなたはどう思う。」
学生「とても嬉しいです。」
私 「そうだね。そしたらあなたは次に何をする?」
学生「・・・私も同じように箸でつまんで、亀井さんに食べてもらおうと思います・・・
   あっ!」
私 「あなたは、親子でいえば子の立場、師弟で言えば弟子の立場、君臣で言えば社員・部下の立場・・・だからこれから、「僕が親だったら」「僕が先生の立場なら」「僕が社長や上司だったとしたら」と考えてみてはどうだろう。それが最も身近な“よい考え方”だと思うよ。」

その後、「将来と過去なら将来のことを、肯定と否定なら肯定で、明暗なら明で・・・」などを列挙することで、“よい考え方”の感覚を掴んでもらいました。相談に来た時は、眉間に寄せていたしわがすっかり伸び切り、嬉々として帰っていきました。

この22年間、実に多くの会社と出会って来ましたが、「この会社の社員さんは幸せそうだなぁ」と感じる会社は、いずれも社員さんがこの感覚を持っていらっしゃいます。

一般社員は監督者の立場で、監督者になったら管理者の立場で、管理者なら役員の立場で、役員就任後は経営者の立場で常に考えている。この条件はどうも外せないようです。

では経営者は誰の立場で考えればよいのでしょうか?

そもそも「考える」とは、神還る(帰る、返る・・・)が語源だといわれています。神に還って考える、すなわち、大自然の法則、大宇宙の原理に基づいて考える。

まず経営者は、経営者の立場で考えてくれる社員がついてきてくれる自分になるために、神還って考え、自分を磨き続ける姿勢が大切だと思います。




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2011年03月08日(火)更新

会社を明るくする、ということ

千年続く 会社をめざそう⑦
■会社を明るくする、ということ■



多くの経営者の方がおっしゃっていますが、私も、
「人の上に立つ者は、真に明るさがないといけない」
と思います。

しかし実際には、いつも明るく、朗らかにふるまい続けるのは、意外と難しいもの。世の中はなかなか自分の思い通りにならない。辛いと感じることもある、悩むこともある、苛々することもある。「こんなに一生懸命やっているのに、何でだ!」と腹立たしいこともある。

ではそんな時、どうすればよいのでしょうか?

ある社長から教えていただいたことがあります。

「朝一番、誰よりも早く出社して“笑”という字を毛筆で書く。クレーム処理の後にも外で“笑”と書いてから会社に帰る。“笑”という字を書くと、自然に顔がほころんでくる。その流れで社員と顔を合わせる。すると職場が明るくなる」

思わず「なるほど!」と、唸ってしまいました。

私自身が実践していることがあります。それは苦しいこと、辛いことなど、あまり歓迎できない状況が発生したとき、まず「笑う」。意味なく笑顔を作る。それも目一杯。

そして、できれば声を出して、そういう状況でなければ心の中で「ありがとう」という。何度も何度も繰り返す。すると、いつの間にか辛さが和らいでいる。

そうなったらこっちのもの!一気に明るいことを考えるのです。

『プラス発想』という言葉があります。
人はある現象・出来事(刺激)に触れると、一定の感情(反応)が生まれます。例えば、「怒られる」(現象)と「腹が立つ」(反応)というもの。しかしこの感情は一様ではありません。まさに人それぞれ、十人十色。それはなぜか?

実はこの“現象”と“感情”の間には、“捉え方”というものが存在します。

「怒られる」(現象)→「お前だってやってないじゃないか!」(捉え方)→「腹が立つ」(感情)
「怒られる」(現象)→「こんなに一生懸命やっているのに・・・」(捉え方)→「悲しい」(感情)

などなど・・・。

『プラス発想』というのは、この“捉え方”を前向きにすることができる発想なのだと思います。たとえば・・・

 「私だって本当は怒りたくなんてない。きっとこの人も同じ気持ちのはずだ。それなのに私を怒ってくれる。私にも改めるところはある。そのことをこの人は嫌な思いをすることを省みず教えてくれた。私がより良くなるチャンスを与えていただけた」

と捉えれば、「ああ、なんてありがたいんだ!」(感情)となるもの。

倫理法人会では
「人は幸福に暮らしているから朗らかなのではなく、朗らかにしているから幸福な事情が次々に現われてくる」
「車にヘッドライトが点いているから行く先々が明るい。行くところがどこでも全て  明るくなる」
「己の気持ちが変わると、相手の態度ががらりと変わる。周りがくるりと変わる。仕事の手順・出来ぶりがすっかり変わる」
と学びます。

自らの立ち居振る舞いで周りを明るくする、常に心掛けていたいものです。



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2011年02月22日(火)更新

強みを知る、ということ

千年続く 会社をめざそう⑥
■強みを知る、ということ■


いつの時代であろうと、人も会社も、“強み”を活かし、
伸ばすことでしか成長していくことができません。

特に今のような混迷の時代、マーケットサイズが縮小している時代には、
絶対条件ともいえます。

たとえば、皆さんの会社にも、「できる人」と「できない人」がいると思います。
このお二人、何が違っているのでしょうか?

できるA君は「彼は○○がちょっと問題だけど、△△ができるから凄い!」であり、
できないB君は「彼はいい奴なんだけど、××がなぁ~」となる。

すなわち、できるA君もできないB君も、いずれも強みも弱みも持っている。
しかし、A君は弱みを上回る強みを持っているから「できる奴」といわれ、
B君は弱みを上回る強みを持っていないから「できない奴」といわれる。

では、できないB君が弱みを改善すれば「できる奴」になるかといえば、
ただ目立たなくなるだけ。
B君をどうすれば「できる奴」にできるかといえば、
結局強みを伸ばすしかない。

これは企業であっても全く同じこと。
人も企業も、“強み”を伸ばすことでしか成長・発展していくことができないのです。

しかし・・・

「自社の強みがわかりません」「自社に強みなんかありません」

などとおっしゃる人が多いのも事実です。
大変悲しいことです。

たぶんその人は、「わからない」ということで“自己革新”の努力から
逃避されているのだと思います。

そのような人物がトップの会社・部門はどうなるか?
火を見るより明らかです。

わからなければ、目を皿にして探す。
それでもわからなければ、人に訊く。
それでもわからなければ、創ればよい。

「わからない」と口にすること自体が罪であることを
わからなければなりません。

皆さんの会社には、とても素敵な“強み”があります。必ずあります!
小さなことからでかまいません。
さあ、目を皿にして、耳をダンボにして、
五感を研ぎ澄ませて、すぐ目の前にあるその“強み”に気付きましょう!



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